バルサで愛されたロナウジーニョ 伝説の超絶技巧とメッシに継承された“天才”の系譜

【サッカー英雄列伝|No.3】ロナウジーニョ(後編)――低迷期の名門を復活させた天賦の才

【サッカー英雄列伝|No.3】ロナウジーニョ(前編)――10代でA代表に名を連ねた“小さなロナウド”

 ブラジル代表の一員として、2002年日韓ワールドカップ(W杯)優勝メンバーとなったロナウジーニョ。「3R」と呼ばれたロナウド、リバウドとのトリオは確かに驚異的な攻撃力を誇った。しかし、彼の笑顔と自由奔放なプレーぶりで真っ先に思い浮かぶのは、青とエンジのユニフォーム姿――そう、バルセロナ時代だ。

 ただロナウジーニョ加入は、03年当時のバルサにとってファーストチョイスだったわけではない。宿敵レアル・マドリードが各国スーパースターを乱獲し、「銀河系軍団」を構築していた。逆にバルサは00年代前半にタイトルから見放される暗黒期に突入しており、人気回復のためのスーパースターを欲していた。

 そこでジョアン・ラポルタ会長がターゲットとして狙ったのは、当時人気絶頂だったイングランド代表MFデイビッド・ベッカム。しかし、このプランはレアルにかっさらわれる形となり、仕方なしの“代案”としてロナウジーニョをパリ・サンジェルマンから獲得することになった。

 ベッカムとはポジションもプレースタイルも全く異なるロナウジーニョに対し、加入当初は懐疑的な目を向けるクレ(バルサファンの愛称)も多かった。しかしその懸念は、すぐに歓喜の声へと変わっていく。03-04シーズンの前半戦こそ負傷で出遅れたものの、その年から就任したフランク・ライカールト監督の下でレギュラーをつかみ、チームの2位復権に貢献。そして天賦の才が爆発したのは、翌シーズンからだった。

 

page1 page2 page3

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング