”MaJesty”うるさ型の英メディアを押さえ込んだ激烈な個性

 

豪腕が救ったギグスと 四面楚歌だったテリー

 

 ギグスの件から約1年半前の10年1月31日、チェルシーのジョン・テリーの醜聞が暴露されていた。クラブ&代表の僚友ウェイン・ブリッジの恋人バネッサ・ペロンセルとの不倫で世間を揺るがせたのである。 その後テリーは不遇にさらされる。スキャンダル発覚直後には当時の代表監督ファビオ・カペッロにキャプテンシーを剥奪された。
 さらに11年10月23日のQPR戦で、リオ・ファーディナンドの実弟アントンに対し、人種差別的発言をしたという事件も起こす。11年のビアス・ボラス監督就任後はクラブでも次第に出場回数が減り、不倫スキャンダルに端を発したごたごた続きで昨年9月23日、ついに代表引退を表明。もちろん、彼の怪我の影響もあったが、テリーの凋落はスキャンダル発覚の際、クラブからの手厚い擁護がなかったのが原因だった。 CL決勝を残すだけだったギグスとは違い、不倫が暴露されたタイミングが1月末日というシーズン真最中だったことも、冷却期間を置けずマイナスに作用したことだろう。とは言えギグスの場合は、ファーガソンの断固とした擁護によりメディアが追求の手を緩めたことは否めない。
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 ファーガソンは記者を出入り禁止にすることなどは朝飯前だった。04年にBBCが『パノラマ』というドキュメンタリー番組で、代理人である息子のジェイソンを特集した。この番組でジェイソンは、父親の影響力を不当に利用し、移籍交渉を有利にしていると批判された。闘将はこの番組に猛烈に反発、その後11年8月まで、7年間もBBCのインタビューを拒み続けた。
 常勝の人気クラブの報復はメディアにとっても死活問題。並の人物ならこうしたボイコットが逆にメディアの批判の対象となる可能性もあるが、ファーガソンには意思を貫く強い姿勢があった。その”意思力“とでもいった姿勢は、周囲を威圧する圧倒的なオーラにつながった。それがプレミアの指揮官にとって非常に厄介な存在であるメディア操作の助けにもなった。
 ギグスはスキャンダルの直後、実弟の妻との不倫も発覚。しかし現在もプレーを続け、13年10月29日の時点でマンUの公式戦949試合に出場している。2位の球聖サー・ボビー・チャールトンが758試合だから、その記録は圧倒的だ。こうして記録更新を続けていることからも、ファーガソンが豪腕でメディアを沈静し、ギグスを守りきったことは明白である。CL前日会見で”御法令“ を破ったジャーナリストが出入り禁止になったのは言うまでもない。
 マンUは先月19日、試合終了間際の後半44分に同点ゴールを食らい、サウサンプトンと1―1の引き分けに終わった。試合後の会見で、地元記者はデイビッド・モイーズ監督に  「ファーガソン監督がいなくなったことで、相手がマンUを恐れなくなったのではないか」と、遠慮なく聞いた。この質問に目前で勝ち点3を逃した直後のモイーズは「恐れは選手がピッチ上で生み出すもので、監督は関係ない」と、顔面蒼白で応じたが、果たしてそうなのか。
 鋭敏なサッカー頭脳、勝負師としての天性の勘、選手を掌握する激烈な個性、そしてこの世の誰よりも激しい勝利への執着心は、サー・アレックスの監督としての素晴らしい資質だった。しかし最も相手が嫌だったのは、うるさくて仕方がない英メディアまでも押さえ込んだ、その強靭な意思が乗り移ったかのような、周りを睥睨する存在感そのものだったに違いない。  

文:森昌利
写真:Gettyimages

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