歴代日本代表と「中盤の守備の曖昧さ」 W杯で追求すべきはゾーンか、マンツーマンか
過去のW杯を見て改めて思う、日本代表の継続性のなさ
理由あってハンス・オフト監督の頃からの日本代表の試合を見返している。「こんな試合だったっけ?」と半ば忘れていたり、「当時思っていたのとは少し違うな」と発見があったりする。ようやくジーコ監督が率いる2006年ドイツ・ワールドカップ(W杯)まできたところだが、日本のプレースタイルが4年ごとに異なることに、改めて継続性のなさを感じたりもする。
初めてW杯に出場した1998年の日本代表は、見直してみるとけっこう頑張っていた。アルゼンチンやクロアチアのFWをマンマークで潰し、リベロのDF井原正巳がカバーする。日本のDFは1対1にけっこう強く、アルゼンチン戦ではDF中西永輔にマークされたFWクラウディオ・ロペスなど何もできないまま交代。井原はMFアリエル・オルテガを止めまくっていた。
ただ、惜しむらくは守備範囲が広すぎること。マンマークなので仕方ないのだが、戦列が伸びてしまって相手のプレーメーカーであるMFフアン・セバスティアン・ベロンにスペースを与えすぎていた。
次の2002年W杯はフィリップ・トルシエ監督が“フラット・スリー”を導入してコンパクトに守れている。一方でパスは3本とつながらず、攻撃のアプローチも縦や斜めのロングボールによる一発狙いばかり。98年のフランス大会の方がパスは通っているし、エレガントだった。4年間で世界のサッカーそのものが変質していて、日韓大会では何本もパスをつなげるスペースがなくなっていたのだ。