ハリルは誰のために勝とうとしているのか? 韓国戦惨敗の意味を共有できない危険性
オフト流の鼓舞「韓国なんか関係ない」
ホームで韓国に4失点となると、なんと63年前に遡る。1954年3月7日、スイス・ワールドカップ予選だ。会場は明治神宮外苑競技場、当日は雪の影響でピッチが泥沼化していて、日本の持ち味だったシャープな動きとパスワークが全く使えず、それが大敗(1-5)の原因だったという。3月14日に再戦しているがこの時は快晴、互角以上の内容だったが2-2の引き分けに終わった。
日本と韓国はアジアのライバルとして鎬を削ってきたが、1970~80年代あたりは韓国が大きくリードしていた。技術、体力、戦術の全てで日本は劣っていて、「彼我の差」は明らかという時代も長かった。それでも少なくともスコアの上では悪くても2点差以内に収めてきたのだから、かなり頑張って抵抗してきたのだ。
「韓国と当たったら終わりだった」
ハンス・オフト監督時代のキャプテンだった柱谷哲二は、そう言っていた。日本の韓国コンプレックスがなくなったのが、このオフト監督の時代である。1992年8月に中国の北京でダイナスティカップが開催された。日本、韓国、中国、北朝鮮が参加した現在のE-1選手権の前身である。
初戦で韓国と対戦して0-0。日本は中国を2-0、北朝鮮を4-1と撃破して決勝で再び韓国と戦う。結果は2-2、PK戦で4-2と勝利した。ちなみにこのダイナスティカップ優勝は、日本にとって戦後初の国際大会優勝だった。
オフト監督は試合前に、韓国のメンバー表を見ながら選手名を読み上げていたが、途中で名前を発音できなくなると用紙を破り捨て踏みにじったという。「韓国なんか関係ない、日本のサッカーをやれば勝てる」というオフト流のメッセージで選手を鼓舞したというエピソードが残っている。