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PSG内紛騒動に見る「PKとスター選手」 カバーニもネイマールも蹴るべきでなかった
スター選手同士の共存に必要なのは…
ちなみに西ドイツは、1974年W杯決勝でもPKから同点に追いつき、ゲルト・ミュラーの逆転ゴールでオランダを下して優勝しているが、やはりこの時のPKも第一キッカーは蹴っていない。
第一キッカーはウリ・ヘーネスだった。ただ、ヘーネスは準決勝のポーランド戦で失敗していたため、決勝の第一キッカーは繰り上がりでミュラーになっていた。ところが実際に蹴ったのは若いパウル・ブライトナーで、実に冷静に決めていた。
これには後日談がある。翌日にテレビでこのシーンを見ていたブライトナー本人は、「何してるんだオマエ、やめろー!」と、画面の中にいる自分に対して叫んだという。冷や汗びっしょり。決勝当日は誰も蹴りたがらない雰囲気を察し、さっさとボールを受け取って蹴っていたが、本人はあまり覚えていなかったそうだ。後でテレビを見て、自分の行為が恐ろしくなったという。
話が少し逸れたが、ビッグクラブにおけるスター選手の共存というのは、いつの時代も難しい問題だ。
1950年代に黄金期を築いたレアル・マドリードに、ハンガリーのスーパースターだったフェレンツ・プスカシュが移籍してきた。レアルには、すでに大エースのアルフレッド・ディ・ステファノがいる。ディ・ステファノは、かつてブラジルの司令塔だったジジが入団した時に“いびり出した”ことがあり、プスカシュとの共存も懸念されていた。
1958-59シーズンのリーグ最終節、どちらも得点王がかかっていたのだが、プスカシュは決定機にディ・ステファノへパスをして、得点王を譲っている。それ以来、二人は最高のコンビを形成することになり、プスカシュはディ・ステファノから多くのアシストを受け、次のシーズンから2年連続の得点王を獲得している。
PSGに加入後すぐに騒動を巻き起こす形となったネイマールだが、カバーニとの共存には、既存のエースに対する配慮が必要なのかもしれない。
【了】
西部謙司●文 text by Kenji Nishibe
ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images