ヴェルディ黄金期のGK藤川孝幸 指導者からビジネスマンへ、50代での華麗な転身

「絶対に成功させられる自信はあった」

 まさに苦渋の決断だった。

「15歳、中三の終わりから読売クラブのユースに入り、ユースからトップに上がって、23年間ヴェルディ一筋でした。(JFA公認)S級ライセンスを取ったわけですから、そう簡単に踏ん切りはつかなかったです。監督については『ここからもう一回夢追います』という気持ちはありました。J3だろうがなんだろうが、結果を出せば来年はJ2からオファーがあるかもしれないと意気込んでいましたけど、そうなれば大切な家族を犠牲にすることになる」

 その言葉には、プロスポーツの厳しさが色濃くにじんでいた。指導者キャリアに後ろ髪を引かれる思いもあったというが、「どうするか考えていた時に、当時53歳くらいでしたが、自分のことだけではなく家族のために。それが最後の決断です。今まで好き勝手やってきましたから、もうしょうがない、と。逆にこの事業を自分がやれば、絶対に成功させられるという自信はあったんです」。理想と現実の間で苦しんだが、最後は前向きに捉え、「指導者はもうやらない」とまで言い切った。

 今では実業家として、目の回るような忙しい日々を過ごしている。1日で日本を縦断するようなハードな移動をこなすことも珍しくないという。50代で会社員としての再スタートを切り、それまでいたプロスポーツの世界とはまるで違う景色の中を生きている。

 サッカースクールを展開し、オーストリアのSVホルンの実質オーナーとしてクラブ運営も手がける本田圭佑(パチューカ)の存在もあって、サッカー選手のセカンドキャリアのあり方については、近年より一層の注目が集まっている。とはいえ、一握りのトップ選手を除けば、選手の平均引退年齢が25、6歳と言われる多くの“元Jリーガー”の第二の人生は決して恵まれているとは言えない。

 

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