パチューカはなぜ本田に惚れたのか? メキシコ初の日本人プロ選手が現地で感じた熱気
92年にメキシコへ渡りプロとなった百瀬氏 本田の入団会見を現地で見届ける
ACミランを昨季限りで契約満了となった日本代表FW本田圭佑は、ロシア・ワールドカップ(W杯)を1年後に控えて、新天地に初挑戦となるメキシコのパチューカを選んだ。この決断は、日本のサッカーファンにも大きな驚きを与えるものだったが、同国リーグでは過去に数人の日本人選手がプレーしてきた。
そのなかで、初の日本人プロ選手となったのが、現在コネクト株式会社の取締役会長を務める百瀬俊介氏だ。1992年に15歳でメキシコへ渡りデポルティーボ・トルーカFCのユースチームに加入、翌年に同クラブのトップチームと契約した経歴の持ち主だ。
そんなメキシコにおける“日本人選手のパイオニア”が、本田のパチューカ移籍を受けて急きょ現地入りしていた。本田フィーバーを目の当たりにした同氏に、その時の様子やクラブについての話を訊いた。
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――今回メキシコへ渡るきっかけは、どのようなものだったのでしょうか?
「日本のテレビ局からの依頼があってメキシコへ行くことになりました。僕も滞在している間に現地メディアの取材を13回受けました」
――本田選手の加入について、現地の反応はどのようなものでしたか?
「(2015年からティグレスでプレーするフランス代表FW)アンドレ=ピエール・ジニャック以来ですね、これだけの扱いは。あのミランで、10番をつけた選手が来るのかというサプライズです。本田はどんな人で、どんな選手で、日本ではどんな存在なのかというのをみんなが知りたがっていました。
新体制発表の時も本田が最後に呼ばれたんですけど、『ケイスケ・ホンダ』とアナウンスされた時には会場がブワーッと盛り上がりました。それぐらい期待値は高いです」