浦和ペトロヴィッチ体制の功罪 「楽しむ」哲学が生んだ爆発的な攻撃力と大一番の脆さ
就任5年半を総括 貫いたスタイルと乗り越えられなかった壁
浦和レッズは、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督との契約を7月30日で解除し、同日から堀孝史新監督がコーチから昇格する形で指揮を執ることを発表した。通訳も務めていた杉浦大輔コーチとの契約も同時に解除。週が明けて1日には、長嶺寛明アシスタントコーチも辞任している。ペトロヴィッチ監督は、浦和では歴代最長となる6シーズン目の指揮に入っていたが、その体制は終焉を迎えた。
ペトロヴィッチ監督が就任した2012年は、前年に残留争いに巻き込まれた直後のシーズンだった。サンフレッチェ広島時代からの右腕である杉浦コーチは、後に就任1年目の第一次キャンプで「ダイスケ、パスが3本もつながらないぞ。私たちはどこに来てしまったんだ」と、ペトロヴィッチ監督が愕然としていたことを明かしている。まさに2000年代に築き上げた黄金期からの継続に失敗し、ボロボロになった浦和にやってきたことを象徴する光景だったという。
そうしたなかでペトロヴィッチ監督は、チームの中心的存在だったMF鈴木啓太(15年で引退)に「大原(浦和の練習場)にはサッカーが楽しいと思って来てくれ」と声をかけた。攻撃的に、そしてサッカーを楽しむ姿勢を忘れないこと――。それはどん底を味わっていた選手たちにとって、救いの言葉になったのだろう。いつしか「楽しむ」という言葉は、チームの合言葉のようになっていった。
それは、特に最初の2、3年はチームに大きな効果をもたらした。3バックと4バックが攻守の状況によって入れ替わる可変システムで、最終ラインの選手たちも次々に攻撃参加。どこか結果に対して委縮していた選手たちの呪縛を解き放ち、就任2年目にはリーグ66得点という爆発的な攻撃力を発揮した。着実にチームが復活を遂げた一方で、その「楽しむ」という要素がタイトルの懸かった大一番で脆さにつながる面が、浮き彫りになっていった。