ミラン本田、在籍3年半の功罪とは? 番記者が分析「運が悪かった」「10番らしい姿は一度も…」

「最高の自分自身の姿を表現できなかった」

 そうしたミラノでの苦闘の日々で、本田が手に入れたものはあったのだろうか。

「これまでのキャリアとは異なる、カルチョというサッカー文化を経験できた。だが、ミランの歴史の中でも最悪の時期に来たことは、運が悪かった。本当はもっとできる選手だと思う。最高の自分自身の姿を表現することができなかった。それは残念なことだ。今日に限ってはインパクトのあるプレーを見せることができた。来季のミランのメンバー、主役ではないが、エレメントとして残って欲しい選手だと思わせてくれた」

 ヴィンチ記者は戦術至上主義と呼ばれ、相手の良さを消すことから全てがスタートするイタリアサッカーの文化に触れることができたことが、最大の収穫だったと分析。だが、累積赤字で苦しみ、満足に補強ができなかったシルビオ・ベルルスコーニ体制の終焉時にやってきたという不運も指摘した。

 本田は2014年の加入会見ではレッドカーペットが用意され、まるでスーパースターのような待遇で紹介された。

「残念ながら、スーパースターとしてはミランを去ることはできなかった。とても真面目で優秀な選手。日本の真面目なサッカー選手として懸命に努力、誠実に練習を重ねる。そういう態度を見せる選手としての印象を残した。しかし、ミランの歴史にその名を刻み込むことはできなかった。チームの核には一度もなれなかった」

 

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