サー・アレックスが築いた勝利の掟が後継者モイーズを葬った皮肉

皇帝的存在として黄金期を築き上げたサー・アレックス

 さて、ここで話を今回の本筋、マンチェスター・Uにおけるサー・アレックスの存在感というところに戻そう。個人的には、あれほど恐ろしいと感じさせる人間、そういうオーラをまとった個人には他に出会ったことがない。とくに大量のアドレナリンが出ている試合直後の会見では、うるさ型の英メディアを押さえつけるように睨みつけ、ネガティブな意見を一切寄せ付けず。そういった時のファーガソン監督は、まさに”赤鬼”ともいえる形相で、時折テレビで見せる好々爺然といった表情とは全くかけ離れたものだった。

 また、選手、スタッフ一同には、とにかくファーガソン監督の機嫌を伺うという姿勢が徹底して、まさに下にも置かない丁重な扱いだった。

 確かに就任後無冠が3年半続いて解任寸前までいったが、1990年にFA杯を優勝して首をつなぐと、その2年後の1992年、ディビジョン1と呼ばれていた英一部リーグが”プレミアリーグ”と名称変更されると同時にチームを本格化させ、そこから21年間に渡る黄金時代を築いた。

 一昨年、ファーガソン監督は、アメリカのハーバード大学に招かれ講義を行ったが、その中で「マンチェスター・Uの監督として就任した際、ひとつだけ自分自身に固く誓ったことがあった。それは相手が誰であろうと、クラブ内に自分より大きな存在を許さないということだった」と語っているが、最終的にはその誓いの通り、皇帝的といっていい存在となった。

 それはまさに勝負の鬼となり、勝って勝って勝ちまくって築いた地位だった。

 今週の英メディアの報道を見ると、次期監督候補としてRマドリードのアンチェロッティ監督とオランダ代表 のファン・ハール監督が一歩リードしている。その理由は両監督の「経験」となっている。

 逆を言うと、モイーズ監督には、マンチェスター・U監督にふさわしい優勝経験がなかったということだが、そんなことは明白だった。

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