ロシア→中国移籍「日本人選手がいない国は?」 オシム心酔の元選手…異色のサッカー人生【インタビュー】

異色のサッカー人生を歩む楽山孝志氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】
異色のサッカー人生を歩む楽山孝志氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】

中国で指導者を務める楽山孝志氏「オシムさんがいる限り、ずっとジェフに」

 かつてジェフユナイテッド千葉、サンフレッチェ広島でプレーし、引退後は中国で指導者としてセカンドキャリアを歩んでいる日本人がいる。静岡県御殿場市で3月27日から5日間、ジュニア年代の国際大会「コパ・トレーロス2025」が開催。この大会に中国チームを率いて参戦したのが楽山孝志氏だ。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大/全2回の1回目)

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 富山県出身で柳沢敦らプロ選手を多く輩出しているFCひがしで頭角を現した楽山氏。ジュニアユースのときの静岡遠征で清水エスパルスに0-5で敗れ、衝撃を受ける。「ここにいてはダメだ」という思いから清水商業に進学。1学年上の小野伸二ら先輩の背中を見ながら成長し、中京大学へと進んでいった。

 その後、プロキャリアをスタートさせた千葉でイビチャ・オシム監督に出会う。「オシムさんのトレーニングやマネジメントがすごく興味深くて楽しかった。あまり試合に出ていなかったですけど、エージェントの方に試合に出られなくてもいい。オシムさんがいる限り、ずっとジェフに残る」と言ったという。

 オシム氏が退任した後の2009年には、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が率いる広島に期限付き移籍。この年で契約満了になると、「エージェントの方に相談したのは、日本人選手がいない国はどこですかと。日本人がチャレンジしていない所に行ってみたくて」と、ロシア移籍を目指してトルコで行われたトライアルに参加する。

 そこでは、ロシア2部FCヒムキへの移籍で話がまとまりかけたが、「金銭面で最後ちょっと折り合いがつかなくて、日本に戻ることになりました」。母校の清水商業でトレーニングしながら移籍先を探していたところ、ウイングバックを探していた大分トリニータに1週間の練習参加。加入寸前で思わぬ急展開を迎える。

「当時、練習参加を通じて大分側が自分に興味を持ってくれて、チームとサインをする予定でした。そのときにちょうど、ロシアのまとまらなかった話が来たんですよ。確か5月くらいだったのですが、エージェントの方から、あのときのロシアの話、もしあったらどうするみたいな。じゃあ行きますよと言って、ロシアに移籍しました」

 ヒムキでは約半年プレーしたが、監督交代の影響を受けて退団。2011年にはフィリップ・トルシエ監督が率いていた中国1部の深圳紅鑽へと移籍することになる。千葉時代の同期でもある巻誠一郎とともに、中国1部では初の日本人選手として契約。同年6月には、中国1部での日本人選手初ゴールも決めた。

 異色のキャリアを経て、2013年限りで現役引退。「何をするか決めてなかったんですよ。なんか違うビジネスに行こうかなみたいな、深く考えていなかった。そうしたら引退したときに微博という中国版のXみたいなところに、中国に残って育成をやってくれと多くのメッセージが届いたんです」と当時を振り返る。

 このような経緯で中国の育成年代で指導者を務めるようになり、今年で11年目。「コパ・トレーロス2025」には監督を務めるTCF楽山サッカークラブを率いて参加し、東京ヴェルディと0-0の引き分け、浦和レッズを3-2で破るなど結果も残した。楽山氏の教え子が、日本代表と対戦する日が来るのかもしれない。

(FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大 / Keita Kudo)



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