名門ユースで挫折「かすりもしない」 欧州行きでまた苦境も…ふと気づいた「あれ?俺のほうが上手い」【インタビュー】

ドイツ2部カイザースラウテルンで中心選手として活躍する24歳のMF横田大祐
ドイツ2部カイザースラウテルンで中心選手として活躍している24歳のMF横田大祐。Jクラブの下部組織を退団し、海外行きを決意するも思わぬ苦境に直面し、「本当にどうしようっていう感覚はあった」と明かす。その一方、欧州でのプレーが潰える可能性もあったなか、「信じてやり続けてるっていうだけです」と紆余曲折のキャリアを振り返る。カイザースラウテルンの本拠地フリッツ・ヴァルター・スタジアムで話を訊いた。(取材・文=中野吉之伴/全4回の1回目)
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ドイツ・ブンデスリーガ2部の昇格争いが熱い。第26節終了時(全34節中)で首位に立つハンブルガーSVから6位ハノーファーまでの勝ち点差はわずかに6。多くのクラブに1部昇格のチャンスが残っている。
現在4位のカイザースラウテルンで主軸として活躍しているのが横田大祐だ。今シーズン開幕後の8月下旬にベルギー1部ヘントからレンタルで加入すると、ここまでリーグ戦19試合に出場し3ゴール3アシストをマーク。第8節エルフェアスベルク戦から、第23節ハンブルガーSV戦まで16試合連続スタメン出場を果たし、切れ味鋭いドリブルとクレバーなパスでスタジアムを沸かせ、攻撃の起点としてチームに欠かせない存在となっている。残念ながらハンブルガーSV戦で左足甲に裂傷を負い負傷交代したが、第26節パーダーボルン戦で復帰した。
川崎フロンターレの下部組織でプレーをしていた横田。トップチーム昇格に手が届かないことが分かった時、頭に浮かんだのが海外でのチャレンジだった。中学1年時にJリーグ選抜チームでアジア遠征に行き、ユース時代の高校1年生から2年生に上がるタイミングでドイツ遠征を経験した横田は、「もともと中学生の頃から海外に行きたかったんです」と明かす。
「ずっと(リオネル・)メッシが好きで、バルサの試合を見たり、その流れで海外の試合に興味を持ちました。海外でいつかやりたいなという思いがどんどん強くなっていました。もちろんフロンターレでトップチームに上がりたかったんですけど、現実的にかすりもしないところにいて……。そうなると大学が一般的なルートだと思うんですけど、当時の僕には『それだとそのまま消えていく』っていう感じがすごいあったんです。だから海外に出るタイミングは『今だな』って。心境は『もうやるしかない』。それだけでしたね」

憧れの海外行きが実現するも…「危機感のほうが大きかった」
留学会社にあたり、ドイツの数クラブでトライアウトを受けた横田は、高校3年時にトップチームが4部のFSVフランクフルトU-19へ加入。ただ憧れていた海外でのサッカーは喜びよりも「危機感のほうが大きかった」という。
「(周りの選手の)体つきもでっかいし、この中でやっていけるのかなっていう感じでしたね、最初は。当時は英語もドイツもできないので、何も理解できないまま時が過ぎて……。なんか俺に対して怒っているんだろうな、褒めているんだろうなぐらいしか分かりませんでした」
それでも少しずつドイツでのサッカーに馴染んで好プレーを披露できるようになっていく。カールツァイス・イェーナのセカンドチームと契約した横田だが、コロナ禍ですべての活動がストップ。日本に一時帰国していた横田はクラブと2年契約していたものの、当時ビザの申請が終わっておらず、ドイツへ戻ることもできない状況。海外でプレーするのはここまでかもしれないと思っていた矢先、ラトビア1部ヴァルミエラが自身の獲得に興味を持っているという話が飛び込んできた。
「ラトビアに行けるかもってなった時に、イェーナにお願いをして契約解除してもらい、やっと行けたという感じでした。ラトビアの練習環境は、みんなが思っているよりもちゃんと整っていた。僕がいたチームは冬に1か月間トルコ遠征したり、スタジアムにジムもあって、練習場もありました。ドイツと比べると、ファンやスタジアムなどで違うところはありますが、プレーしている自分からしたら、特に不満はない環境でした」
ラトビア移籍1年目(2020-21)はリーグ22試合出場で2アシスト。2シーズン目(2021-22)は33試合出場で8ゴール10アシストと結果を残した。チームも国内リーグ優勝、UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ予選出場と、少しずつヨーロッパサッカーに足跡を残し始めていた。

欧州トップリーグでの経歴を持つ選手たちを見て…「俺もできる」の気づき
それにしても、だ。川崎のトップチーム入りが叶わず、ドイツに渡ってもブンデスリーガーのクラブから声が掛かることもなかった。イェーナでステップアップという時期に、コロナ禍により欧州でプレーする可能性が潰える直前までいった。
挫折しても不思議ではない状況を何度も経験しているが、横田は1つずつ乗り越えて歩みを進めてきた。その原動力はどこにあるのか。「みんなと話すと、普通じゃないとか言われるんですけど……」と笑いながら、横田がこんなふうに答えてくれた。
「ラトビアのチームに入れなかったら、本当にどうしようっていう感覚はあったんです。ただ周りの選手を見ていて、俺にもできるっていう気持ちはありました。例えばラトビアではブンデスとか、欧州トップリーグでの経歴を持った選手が30歳ぐらいでプレーしてたりしてるんですが、『あれ?俺のほうが上手いじゃん』みたいな(笑)。『だったら俺もできる』って。自分で洗脳してるわけじゃないですけど、信じてやり続けてるっていうだけです」
現時点では負けているかもしれない。だが1年後にはきっとできるようになっている。俺のほうがもっといいプレーができるようになってやる。その思いは幼少期からあったと振り返る。
「そういう考え方、感覚があったのか……」とつぶやいた横田はしばらく考えてから、そっとまた話し出した。
「例えば、ある選手にはこれができるけど俺ができないってなった時に、今はできないけど、1週間後、1か月後にはできるようにしたいっていうのは昔からありましたね。今、ちょっと考えていましたけど、そういうところから今の僕が出来上がったかもしれないです。自分のキャリア的には、もうどんどん下から下から下からっていう感じ。1年後にはできる、2年後にはそうなれていると信じてやり続ける。次のステージに行って、強度やレベルの違いで最初はちょっと厳しくても、そこでまた成長して、経験を積んでまた新しい成功体験を得る、という感じですね」
ラトビアで手応えを掴み出していた横田の下にポーランドから電話が届く。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。