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高卒即渡米も…会社倒産で「帰国するお金が無く」 日本人“欧州初”を切り拓いたサッカー指導者【インタビュー】

アジア人初の欧州プロライセンスを取得した髙野剛氏が指導者になった経緯
アジア人として初めてイングランドサッカー協会(FA)及び欧州サッカー連盟(UEFA)公認プロライセンスを取得した日本人指導者がいる。ベルギー1部シント=トロイデンVVのアカデミー責任者を務める髙野剛氏だ。どのようなキャリアを経て、世界の舞台に辿り着いたのか迫った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大)
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福岡県出身の髙野氏は、高校卒業後にいきなり渡米したところからキャリアを切り開いた。「語学留学でサッカーは遊び程度にやるくらいだと思っていたんですよね。どちらかと言ったら、翻訳とか通訳になるのではないかなと」。漠然とした気持ちで米国に飛び込んだが、不思議とサッカーに導かれていった。
「近くの公園で土日のお昼過ぎになるとみんな集まって、いろんな人種の知らない人たちでサッカーをやっていて。そこでプレーしていると、たまたま通りかかった人がいて、一緒にサッカーをやらないかということが始まりでした」
ちょうど語学学校を終え、大学進学を考えていた髙野氏。草サッカーから始まった縁で2年制大学のサッカー部のトライアウトを受けることになり、合格して入学する。さらには、4年制大学から誘われてプレーし、大学4年生のときにはヤキマ・レッズFCという当時の3部リーグ相当のチームから声がかかった。
「そうしていたら、今のMLSの前身のシアトル・サウンダーズからテストも含めて練習に来ないかと。契約までは行かなかったけど、2軍があったのでセカンドチームでプレーするところまで行って。流れに流れていったという感じでしたが、それをやっていくうちになんか自分も熱が入り始めていんたんです」
サウンダーズで1年半ほどプレーしたが、「ハムストリングをバチンとやって。これはもうダメだとなって、それで指導の方に行きました」。プロのサッカー選手ではなかったため、大学卒業後は翻訳会社などで働きながらの2足のわらじ。しかし、指導者として本腰を入れるきっかけになる事件が発生する。
「翻訳会社が倒産して、日本に帰国するお金、貯金が無くなってきていたんです。僕といつもサッカーをやっていた2人がいて、みんなお金に困っていてこれやべえぞと。その1人が個別レッスンをやっていて一緒に行き、ちょっとお金をもらって食いつないで。だからサッカーが僕たちを助けてくれたんです」
指導者人生の原点になる事件を「今でも覚えています」という髙野氏。「今考えたらすごく恥ずかしい指導だったと思うんですけど、ありがとう、タメになったと言われて」。その後、米国で8年のキャリアを重ねて日本に帰国する。
「2005年に就労ビザが切れてしまって、日本にとうとう帰ることになったんです。ということであれば、就労ビザが要らないのでなんでもできるみたいな。そのとき32歳だったので、サッカー1本で生きていけるか分からないけど、年齢的に失敗も全然許されるだろうと思って。本格的にプロになろうと思った感じです」
2005年からサンフレッチェ広島のジュニアユースコーチを務めると、2009年にはトップチーム昇格。2010年に渡英して英3部ハダースフィールドの育成組織コーチを経験し、2012年にはサウサンプトンで日本人初となるプレミアリーグのトップチームでコーチを務める。唯一無二のキャリアを積み重ねていった。
(FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大 / Keita Kudo)