監督次第で「こんなに結果が違う」 元Jリーガーが名門大サッカー部“指導”…挑戦の日々【インタビュー】

慶應大学ソッカー部の監督に就任した経緯
母校・慶應大学ソッカー部が2027年に創部100周年を迎えるにあたって、チームを強化したいというオファーを受け、2024年から監督に就任した中町公祐氏。就任1年目となるシーズンで、早速、関東大学リーグ1部昇格を果たすなど、上々のスタートを切った。(取材・文=中倉一志/全4回の4回目)
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「監督として初めてのシーズンで結果を残せた要因の1つとしては、僕もソッカー部出身で、僕の感覚や価値観と今の学生たちも持っていて、『サッカーはこうだよね』とか、『こういうふうに組織としてやっていくべきだよね』というものが共通意識としてあったので、すんなりいったと思います。それを一から作らなければいけない状況なら、多分、結果は出なかったと思います」
監督就任のオファーを最初に受けたのは、2022年に一時帰国した際。当時はプレーヤーとして活動することを選択したが、2023年6月にオファーを受けることを決めた。
「まだアフリカでプレーヤーとして活動している2023年に、OBの方が直接ザンビアまで来てくれて、『ぜひ、やってほしい』と言われたんです。ソッカー部には、湘南ベルマーレから戦力外通知を受けた時にプレーする場所を与えてもらった恩がありましたし、サッカーを生きる者として自分を必要としてくれるというのは最大のモチベーションですからね」
また、自分の中でのタイミングが一致したことも、オファーを受ける大きな理由だった。
「プレーヤーは誰もがそうだと思いますが、サッカーをしている時が自分のことを一番認められる時で、サッカーを始めてからずっと、サッカーをしている自分というのが自分の人生だったんです。けれど、まだ見ぬ学生たちのことを思って、それを率いている自分を想像した時に、そのイメージが湧いてワクワクしている自分がいたんです。プレーヤーとしての気持ちと、想像した自分の気持ちのバランスが同じくらいになったので、『これはタイミングだな』と。やりがいがあるなと感じています」
「過去に生きたくはない」 中町氏が描く未来
監督をやって、新たに気づいたこともあったと話す。
「割と自由に采配しているんですけれど、自分がプレーヤーの時に思っていた以上に、監督の采配は重要だなと感じています。プレーヤーの時は、『結局は自分たちだから』という気持ちが強かったのですが、監督の采配一つで結果が変わります。監督になってみて、『こんなに結果が違うんだ』と。責任は重大ですね」
そして、学生たちには人間性を磨くことを求めている。
「これは僕自身が慶應で学んだことです。サッカーが上手いからと言って偉いわけでもないし、人としての価値が上がるわけでもありません。僕は現役の時から言っていましたけれど、サッカーを通じて何を学ぶのか、何を磨くのか、そして何を表現するのかというのが大切で、いかにして自分の人格を形成していくのか。それを学生たちには求めています」
最後に今後の目標について尋ねると、中町氏らしい答えが返ってきた。
「大枠で言えば、過去に生きたくはないなと思いますね。今を全力で、自分自身が誇りに思える仕事をしているのかというのが重要だと思っています。F・マリノスでこんな成績を残したとか、アビスパでJ1昇格を経験したとか、アフリカでどうだったとか、それは過去のことです。
もちろん、それを誇りに思っている自分もいますが、それよりも、今本気でぶつかっている仕事があるということが人生を豊かにするんだと思っています。それがソッカー部の監督であろうが、NPOの活動であろうが、どんな職種であっても、その感覚とか感性を持ち続けるようなことをしていたいなと思います」
人間・中町公祐としてどう生きるのか。何を表現するのか。それをテーマにここまでさまざまなチャレンジを続けてきた中町氏。それは、監督として慶應大学ソッカー部を率いる今も少しも変わってはいない。その先に何が見えてくるのか。中町氏は、新しいチャレンジにきっとワクワクしていることだろう。
(中倉一志/Hitoshi Nakakura)