給与遅配、契約打ち切り「なんで怒らない?」 元Jリーガーが異国で直面&現地で受けた指摘【インタビュー】

アフリカで活動時の日本との違いを回顧
中町公祐氏のアフリカにおける選手としての活動は、ZESCOユナイテッドFC、ムトンド・スターズFC、シティ・オブ・ルサカFCの3チーム。そのほかにも、長期間にわたって練習参加していたクラブも合わせて数えれば、6、7チームに上る。もちろん、サッカーそのものが日本とは違うのは当然だったが、プレー以外の面でも驚かされることが多かった。(取材・文=中倉一志/全4回の3回目)
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「最初に選手登録したZESCOユナイテッドFCのときも、仮契約書を送ってくれとか、いろいろな手続き関係で連絡を取っていましたけど、何も進まず。登録期限の1月31日にアフリカに行ったら『いるんだったら契約しよう』という形で契約できましたが、その日そこにいなければ全然相手にされませんでしたし、移籍も何もなかったという形でした。そもそも、ルールはあってもないようなものでしたし、約束したことが起こったためしはありませんでしたね」
ZESCOユナイテッドFCとは当初2年契約を結んでいた中町氏。しかし、怪我をきっかけに、1年残っていたにもかかわらず半ば一方的に契約を打ち切られた。
給与の遅配もよくあることで、そこへの選手の対応にも日本との大きな隔たりを感じた。
「ZESCOユナイテッドFCの時にも遅配があって、でも僕は最初に契約したチームだったし、日本人だし、大袈裟に騒ぐことなく黙っていたらチームメイトに怒られたんです。『お前は全く真剣じゃない』『なんでキレない? なんで怒らない?』と。
で、大騒ぎをしたら何とかなるのかと言ったら、これがなるんです。むしろ、大騒ぎをして主張しない限り、『ああ、大丈夫なんだ』ということで支払われることはありません。大騒ぎをすることによって『こいつらうるさいな』と言って払うんです。日本人には全くない感覚でしたね」
綿密な準備をして臨んだアフリカでの活動だったが、あまりにも違う考え方にストレスを溜めることも多くあったという。そんなときに助けとなったのが、それまでと同様に人との出会いや自身を支えてくれる人たちの存在だった。
「それまでには考えられないような、所属するチームがない状態のときが、ちょこちょことあって、その状態からチーム探しなどで奔走している間は、いわゆる自分と向き合う時間、自分だけしかない時間が多くなってしまうんです。
日本であれば、例えば試合に出ていなくても、自分の言葉で、自分の思いを伝えられる機会はあります。けれども、アフリカの地で所属するチームがなくなって、サッカーで自分を表現する場所がなければ、言葉を伝える機会もない。そうやって外界から閉ざされたような毎日が続くと、さすがに堪えました。
そんなときに、NPO法人『Pass on』の活動を支援してくださっている企業や個人のみなさんの存在が本当に支えになりました。そういった環境の中でサッカーを続ける意義と、勘違いでもいいから誰かのためになっていると思わせてくれる場所があるという思いが、自分の背中を押してくれたんです」
ほかにも多くの苦労があったことは想像に難くないが、それでもアフリカでの活動には後悔はないと言い切る。日本国内であれ、アフリカであれ、あるいはほかのどんな場所であっても、サッカーを通して自分を表現すること、自分を成長させることを大切にする中町氏にとって、肌で感じたアフリカでの生活の一つひとつが自分の財産になっているという実感があるからだろう。
そして、2023シーズンを最後に、現役引退を表明しアフリカでの5年間の選手生活に区切りをつけて帰国。昨年末には1か月間ほどアフリカに滞在して支援活動を行うなど、現地への支援活動は引き続き継続しながら、現在は母校の慶應大学ソッカー部の監督としての日々を送っている。
(中倉一志/Hitoshi Nakakura)