審判にとって「選手は最大の味方」 激高した日本代表MFの謝罪…転機となった1つの出会い【インタビュー】

選手の行動には「必ず理由がある」…選手と関わるうえで西村氏が意識したこととは
サッカー選手と密接に関わる特殊な職業、それが審判員だ。Jリーグで約25年間、レフェリーとして活躍してきた元プロフェッショナルレフェリー(PR)の西村雄一氏にも、審判を従事する自身の考え方がガラッと変わった瞬間があった。「レフェリーって実はジャッジをしないんです」。この言葉の本意とは――。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・金子拳也/全4回の3回目)
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
◇ ◇ ◇
2024年限りでトップリーグの担当から勇退した西村氏。2000年からJリーグで審判員として活動を開始した。サラリーマンと両立しながらサッカー界に携わってきたが、2004年にプロフェッショナルレフェリー(PR)として審判活動に専念するようになる。感覚を大切にするレフェリング。奮闘する日々が続いた。
そんな自身の大きな転機となったのは2020年、ある本がきっかけだったという。
「大久保寛司さんの著書『あり方で生きる』という本に出会ったんです。この本を読んでから、選手との接し方や捉え方が変わりました。それまでは感覚的に行動していたので、うまくいく時もいかない時もありました。本の内容を理解してからは、ほぼほぼ選手との関係が本当によくなったんです。選手たちはただ感情的に思いのままにやっているのではなく、その行動をするのには必ず理由があるんだよという見方に変わりました」
例えば、過去の経験から西村氏は「言葉」について自身の捉え方を示す。「これまでの経験の中で、『黙ってプレーして』という僕の言葉が選手に取り違えられた出来事がありました。その時『もしかしたら『言葉』はあまり正しいことを伝えてくれないかもしれない』と感じたんです」と、2008年のJ1リーグ第9節FC東京対大分トリニータ戦で起こったエピソードを振り返る。
「この出来事を経験しておいて良かったと思っています。これは、言葉に僕のエネルギーが無意識に入ってしまって、それが強過ぎたのだと気付きました。自分のエネルギーの熱量を、その場にうまく合わせられなかったと。選手側の熱量が、どのくらいの本気で『違う』と言いたいのか。『とりあえず言っておこう』なのか。言葉に惑わされずその熱量を見て判断し、伝え方も最善の熱量で上手にアジャストしていく。選手がその行動に移るには、数秒前に原因が必ずあります。そこを理解していれば選手といいコミュニケーションが取れるのです」
考え方の変化を受け入れた西村氏は「実はレフェリーって、良い悪いのジャッジはしていないんです。それは選手本人たちが分かっていることです。起きた事実をどう上手にマネジメントして、いかにゲームの進行につなげるか。レフェリーはマネジメントをする人なんです」と持論を展開。「ジャッジしなくなってからは楽になりましたね」と、20年以降メンタル面でより安定したレフェリングができるようになった理由を明かしている。
激高した旗手選手にかけた言葉「大丈夫落ち着いて!」
西村氏が選手と良い関係性を築いているエピソードはもう1つある。日本代表MF旗手怜央(セルティック)が当時川崎フロンターレにいた頃、大きなチャンスを潰され激高した瞬間を振り返った。
「旗手選手がすごくいいチャンスでドリブルをしている時、本人も『よし!』と思っていたところで悪意を感じるファウルをされました。いつもは冷静な彼が、この時ばかりは感情が爆発してしまって相手に食ってかかりそうになったんです。僕はなんとか間に合って2人の間に入ることはできたのですが、まったく怒りが収まりませんでした。その時『レオさん、大丈夫落ち着いて!僕がやりますから!』と言葉をかけたのを覚えています」
その後チームメイトになだめてもらいつつ、旗手はようやく落ち着く。後日、旗手は「あの態度はまずかったな」と反省し、チームスタッフを通じて謝罪を申し入れたという。西村氏は「僕に謝る必要はなくて……『彼の強い思いは、この先の日本を支えてくれる時に必要になるんじゃないですか?』とスタッフに伝えましたね」と、当時のやり取りを懐かしんだ。
こうした面にも表れている審判員、選手の関係性。西村氏はこう表現する。
「レフェリーは、普段から色々な批判を受けるので、世の中に味方がいないように感じることもありますが、一番大切な味方は身近にいるのです。試合はピッチ上で選手と、審判員で進めていくしかありません。選手は自分の夢をレフェリーに委ねています。レフェリーの語源『refer(委ねる)』ですね。どんなに選手から試合中に異議を示されたとしても、最後は『決めたものを受け入れるよ』という関係性である以上、実は選手がレフェリーにとって最大の味方になるんです」
選手が一番の味方。審判員を全うするなかで、一番大切にすべきは選手だという“裏返し”でもある。「皆さんが期待していることは選手たちが輝いてプレーしているかどうか。選手が輝いてくれないと皆さん喜ばないですよね。レフェリーとしてここを一番大切にできるかがとても重要なことなんです」。西村氏が思い描いた審判像は、こうした理由から作られたものだった。
[プロフィール]
西村雄一(にしむら・ゆういち)/1972年4月17日生まれ、東京都出身。1999年に1級審判員登録。2004年に国際審判員、史上5人目となるプロフェッショナルレフェリー(PR)に抜擢された。Jリーグ通算682試合を担当。2010年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯の審判員としても活躍。24年にトップリーグ担当を勇退。現在はJFA審判マネージャーとして後進育成に従事している。