突然SNSで移籍予告、Jクラブ契約延長オファーも異国へ 現役でザンビア挑戦の理由【インタビュー】

横浜F・マリノスからは2年の契約延長のオファーを受けていた
2012年から横浜F・マリノスで7年間プレーしていた中町公祐氏。2年の契約延長のオファーを受けた中、2019年からアフリカ・ザンビアのチームに移籍することを発表。驚きの決断の裏にはどのような理由があったのか。(取材・文=中倉一志/全4回の2回目)
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2019年1月2日、中町公祐氏は自身のインスタグラムで驚きの発表をした。それは、横浜F・マリノスからの2年の契約延長オファーに感謝の意を表しながらも、2018シーズン限りで退団し、アフリカのザンビア共和国のサッカーチームに移籍予定だというものだった。その決断の裏には、2015年12月に心肺が確認できない状態で誕生し、わずか43時間で息を引き取った長男・彪護(ひゅうご)ノア君がつないだ縁があった。
「NPOを立ち上げて現地(ガーナ)でアフリカの支援活動を行っている大学時代の同級生に頼まれて、公式戦で1勝するたびにサッカーボールを5個送るという活動を2013年から始めていました。その友人が、長男の名前を付けたグラウンドを作ってくれたことが直接的なきっかけになって、2018年のロシアワールドカップによるJリーグの中断期間に初めてガーナを訪れたんです。それまでは単なる物資の支援だけでしたが、実際にアフリカの地に足を踏み入れて様子を見てみようという思いでした。その時は短期の滞在でしたけれど、こういう世界があるんだなと感じたのと同時に、違和感はなく、住めない場所でもないなと感じて、それを機にいろいろと考え始めたんです」
アフリカの現状を肌で感じ、アフリカの各地に出向いて直接ボールを届けることで、子どもたちに笑顔を届けたい。併せて、自身の経験から日本の医療機関とのつながりを大事にしながら、日本とアフリカの医療環境改善の助けになりたい。そんな思いが強くなったと話す。そして、当時置かれていた自分のプレーヤーとしての立ち位置とが重なった。
「2018年は新たにポステコグルー監督が就任したシーズンで、それまでの(中村)俊輔さんがいて、(中澤)佑二さんがいて、ピッチ内で臨機応変に対処していくというスタイルから、オートマチックなサッカーに移行していった時期でした。自分の出場機会が減っていたという事情もありました。ベテラン選手としてチームをまとめる役割が回ってきたということは理解しつつ、サッカープレーヤーとしてまだやれるという自負と、アフリカへの思いと、いろんなタイミングが重なって、『アフリカ移籍って面白い、とても大きなチャレンジなんじゃないかな』という思いでした」
アフリカへの支援を考えれば、継続することが大切であり、勢いだけでは決断できない。中断期間が明けた7月頃から現地の調査を綿密に行い、現地で活動するための環境整備を進めた。最終的にザンビアに拠点を置いて活動することを決め、12月には「NPO法人 Pass on」を設立。本格的にアフリカでの活動を始める。
多くの人が驚いた決断。しかし、それは中町氏らしい決断でもあった。アビスパ福岡在籍時に、将来の夢について「海外へ移籍してサッカーをする考えはないのか」と尋ねたとき、次のような趣旨の回答があったことを思い出す。
「サッカーがうまいから海外へ行くのだろうという考えは短絡的ではないか。もちろん、海外でサッカーをしたい夢はあるが、それは一人の人間として成長するため、人としてそうすることが大切だと思うからであって、サッカーがうまくなりたいというだけの理由で行くわけではない」
改めてその時のことを伝えると、笑顔を浮かべながら次のように答えてくれた。
「基本的な考え方、ベースは変わらないかもしれないですね。マリノスで7年間プレーして、ありがたいことにみんなに信頼してもらって、選手会長をやった関係で、ピッチ内だけじゃなくて求められるタスクもあり、そうした環境の中でプレーヤーとしての思いと、社会におけるサッカー選手の立ち位置みたいなものを感じていました。どのタイミングで始めようかと考えたときに、プレーヤーとして引退してからではなく、現役選手として勝負できるタイミングでの決断というのが自分の中で大きかったですね。ですから、アフリカに移籍すると決めたとき、僕は目をキラキラさせていたと思います」
そして、2019年2月4日にザンビアン・プレミアリーグのZESCOユナイテッドFCへの移籍を発表。中町氏の新たなチャレンジが始まった。
(中倉一志/Hitoshi Nakakura)