突如失った職…電話が鳴り「鹿嶋までやってきた」 思わぬ再会、どん底の人生が「救われた」【インタビュー】

大分の吉岡宗重スポーツダイレクターがスタッフ育成の重要さを話した【写真:(C) OITA F.C.】
大分の吉岡宗重スポーツダイレクターがスタッフ育成の重要さを話した【写真:(C) OITA F.C.】

J2大分の吉岡スポーツダイレクターが味わった鹿島での紆余曲折

 今季からJ2大分トリニータのスポーツダイレクター(SD)に就任した吉岡宗重氏は、鹿島アントラーズの強化に携わった14年間で紆余曲折を味わってきた。自身が強化担当だった時は優勝も経験したが、強化トップのFD(フットボールダイレクター)に就任してからは常勝軍団復活の難しさを痛感させられる日々だった。それが2024年10月4日のアウェー・アルビレックス新潟戦直後に突如として終焉を迎え、予期せぬ空白期間を過ごすことになった。(取材・文=元川悦子/全5回の4回目)
   ◇   ◇   ◇

【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!

「鹿島から僕とランコ(・ポポヴィッチ監督)の解任のリリースが出てすぐに、大分時代の上司である原(靖=現FC町田ゼルビアFD)から電話がかかってきて、『明日何してるの』と聞かれました。『仕事がなくなったので時間があります』と答えると、原さんが翌日、鹿嶋までわざわざやってきて、焼き肉をご馳走してくれた。『また次のステップに行けばいいんだよ』と底抜けに明るく話してくれて、本当に救われた気持ちになりました」と吉岡SDは心温まるエピソードを口にする。

 その後、古巣・大分からオファーを受け、地元に戻ることになったわけだが、同時に強化部の編成も見直すことになった。西山哲平前GM(現AC長野パルセイロSD兼トップチーム強化部長)時代は彼自身がチーム編成から移籍や契約まで一手に引き受けていたが、吉岡SDはより人材を増強して組織で戦っていく必要性を痛感。今季は4人体制で回していく形で始動した。

「まずギラヴァンツ北九州から平井秀尚さんに来てもらって、スカウト・強化の管理や契約書関係の事務、細かい数字をまとめる作業を主に担当してもらうことになりました。加えて昨年までマネージャーだった菊住輝と24歳の日本育ちのブラジル人ビニシウスを新たに加え、ゼロベースで育てていくことにしたんです。

 自分のことを考えてみると、20代で大分に入ってから原さんにかなり仕事を任せてもらって、何でもやらなければいけない状況になりました。おかげで仕事も覚えましたし、鹿島の鈴木満さんのような横のつながりもできた。もちろんミスもありましたけど、原さんは『困ったね』と笑って言うくらいのポジティブな上司だったので、本当に伸び伸びやることができたんです。

吉岡宗重SDがチーム強化のやり方が変化の時を迎えていると話してくれた【写真:(C) OITA F.C.】
吉岡宗重SDがチーム強化のやり方が変化の時を迎えていると話してくれた【写真:(C) OITA F.C.】

 大分は今、“育成型クラブ”という看板を掲げていますけど、それは選手育成だけに限った話ではない。フロントスタッフも育てていくべきだと感じています。今回採用した若く未知数なスタッフが大きく伸びてくれれば一番いい。それが強いクラブにつながっていくと信じています」と吉岡SDは強調する。

 93年にJリーグが発足してから30年以上の時間が経過し、クラブ強化を担える人材が数多く出てこなければいけない時代に入ったのは確かだ。これまでは鹿島の鈴木満・強化アドバイザーや川崎フロンターレを強豪クラブに押し上げた庄子春生GM(現ベガルタ仙台)、FC東京やファジアーノ岡山で長く働いた鈴木徳彦GM(現町田アドバイザー)のような敏腕強化部長がいて、彼らがJリーグをリードしてきたが、1人のスペシャルなGMや強化責任者だけでチーム強化ができる時代ではなくなってきていると吉岡SDは感じている。

「SDやFDというのは、フットボールの流れや傾向、自分なりの見方や考え方を持っているのは当然として、契約や登録のルールもしっかりと把握しておく必要があります。FIFAルール、JFAルール、Jリーグルールといろんなことがあるので、常に情報をアップデートしておくことも求められてきます。

 昨今はいろんなツールが発達し、分析することも多岐に渡っているので、1人の敏腕スタッフがいればすべてが回るという状況ではなくなってきています。昔は久米さん(一正=元柏レイソル・清水エスパルス・名古屋グランパス強化本部長・GM)や満さん、徳さんのような優れた先人たちが何でも1人でこなしていましたけど、これからは組織をいかに強くするかが求められてくると思います。

 だからこそ、大分も若いスタッフに権限移譲をしながら、全員ができることを増やし、強い組織を作っていくべき。優れたスタッフを何人も抱えることが、長期的な成功につながってくると僕は考えています」

 こう語る吉岡SDは、鹿島でFDを務めた3年間にも常に「スタッフを増やさないといけない」「強い強化部を作らないといけない」と口癖のように話していた。それが少しずつ具現化し、2024年の鹿島はレノファ山口FCでGMを経験した石原正康氏に加え、中田浩二現FD、クラブOBの山本脩斗氏もスタッフ入り。分業体制が実現した。スカウト部隊も今季からクラブOBの前野貴徳氏が加わるなど、「クラブとして人材を育てていこう」という機運が生まれている。それも吉岡FDが残した遺産と言っていいかもしれない。

「今まで僕は鹿島に長くいましたから、ほかの環境を見る機会もなかったですけど、確かに別のところから学ぶチャンスでもある。近年、編成や補強が上手くいき、結果も出ているサンフレッチェ広島は特に注目しています。

 織田さん(秀和=現ロアッソ熊本GM)、足立さん(修=現Jリーグフットボール本部フットボールダイレクター)、雨野さん(裕介=現広島強化本部長)とトップは変わりましたが、クラブとして一貫した強化方針で前進していますし、バトンタッチもうまくいっている。本当に素晴らしいことだなと感じます。

 今、我々は鮎川峻という選手をレンタルで借りているんですが、何回も電話でやり取りするなかで『ぜひ勉強させてください』という話をしたところです。そうやって遠慮なく学びに行って、自分自身ももっともっと成長したいと思います」

 古巣・大分に戻ったことを好機と捉え、ここから吉岡SDがどのようなアクションを起こしていくのか。斬新なトライをぜひとも期待したいものである。(第5回/最終回へ続く)

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



page 1/1

元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング