15歳プロデビューの背景 久保建英を越えるJ1新記録…育成現場の最先端事情【コラム】

FC東京の北原槙がデビューした背景を探る
2010、2017、2023、そして2024年シーズンの4度「Jリーグ最優秀育成クラブ賞」を受賞したFC東京から新星が飛び出した。言うまでもなくJ1最年少出場記録を更新した北原槙のことだ。
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一見すると中学3年生がいきなりトップチームでJ1デビューを果たしたかのような印象を受けるが、じつはここに至るまでにいくつかの段階を踏んでいる。まず本来であれば中学生の北原は、既に飛び級で、FC東京U-18でプレーしていた。
2024年夏の第39回 日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会では、一時的にFC東京U-15むさしに復帰して参加。U-18とむさしではやっていることもメンバーも異なりさまざまな難しさに直面しつつも、ラウンド16のセレッソ大阪 西U-15戦では2ゴールを挙げ、ベスト4進出に貢献。貴重な経験を積んだ。
こうしてU-18で高校生級としての実力、あるいはトップでも通用するプレーヤーとしてのベースを示してきた北原は、今年の沖縄キャンプに最初から参加。帰京後もトップチームに帯同して練習を続け、J1リーグ第3節名古屋グランパス戦で初のベンチと取材対応を体験すると、第4節鹿島アントラーズ戦でJ1デビューを果たす。
鹿島戦の前には松橋力蔵監督が「僕はキャンプで初めて見たんですけれども、もう本当に十分、このJ1のピッチで活躍できる、それくらいのポテンシャルを持っている選手だと思う」と評価するほどのパフォーマンスを見せていた。
実際に練習を見ると基礎技術と判断力が高く、どのような強さのボールが来ても足先でコントロールして一定の勢いに調節したワンタッチパスを送り出す。巧みな身体の使い方もあり、プロ相手の球際でも違和感がない。ボールを奪ってそのままシュートを撃つことも出来る。
名古屋戦ではピッチサイドでもミックスゾーンでも堂々とした振る舞いだったが、強心臓の北原もさすがに鹿島での初戦は勝手が違ったのか、いいプレーはあったものの本来の実力は出し切れず、加熱するペン記者が押し寄せるミックスゾーンでの取材対応もややぎこちないものとなった。それでも、ここまでやれる中学生がそういないのも事実だ。
最優秀育成クラブ賞の受賞がもっとも多い東京では、久保建英をはじめとして、過去に何度も中学生をU-18で鍛えたり、U-18の選手をトップの練習や試合に参加させ、磨いてきてきた、そして過熱報道の対象となってきた経験がある。北原に対して適切な刺激を与えつつ守るべきところでは守り、静かに素材を伸ばしてきた。
もっとも、育成に力を入れているのは東京だけでない。前述のクラ選(U-15)準決勝でむさしを破りクラブ史上初めて決勝に進出したFC岐阜U-15でも選手のフィジカルに適した学年のチームへの上げ下げをおこない適切な負荷を与えている。岐阜自体、社会人のSECONDやアカデミーの選手をトップの練習に参加させクラブ全体での育成、強化を図っている。
こうした背景には、17歳の選手がプロで活躍することが当たり前という世界の傾向がある。日本に当てはめ逆算すれば、トップとアカデミーの風通しを良くすることはもはや必然。そこを意識した育成の現場からは、北原だけでなく、17歳6か月27日でJ1初ゴールを決めた鹿島アントラーズの徳田誉、16歳5か月5日でJ2最年少ゴールの記録を更新したロアッソ熊本の神代慶人のような選手が次々と出現するようになっている。
若手あるいは新人のプロデビューには細心の注意が必要であり、いわゆる“潰す”ことがないよう配慮しなければならないことは確かだ。しかし過度に持て囃すことなく、そして重すぎる負荷を与えることなく、適切な経験を積ませることで素材を開花させることも可能と考え、実践に移す現場が増えている。北原が出現した背景には、そのような土壌が影響しているのではないだろうか。

後藤 勝
後藤 勝
ごとう・まさる/小平市在住のフリーライター。出版社、編集プロダクション勤務を経て独立。1990年代末に「サッカー批評」「サッカルチョ」などに寄稿を始めたことがきっかけでサッカーに携わるようになり、現在はFC東京、FC岐阜、東京都社会人リーグを中心に取材。著書に「トーキョー ワッショイ! FC東京 99-04 REPLAY」(双葉社)「エンダーズ・デッドリードライヴ-東京蹴球旅団2029」(カンゼン)がある。ウェブマガジン「青赤20倍!トーキョーたっぷり蹴球マガジン」「ぎふマガ!〜FC岐阜を徹底的に応援する公式ウェブマガジン〜」の執筆を担当。