欧州移籍していれば「絶対に大活躍できた」 ドイツ人コーチ断言…時代に阻まれた天才【インタビュー】

ゲルト・エンゲルス氏がパク・チソン、松井大輔、三浦淳宏らを語った【写真:Getty Images & 産経新聞社】
ゲルト・エンゲルス氏がパク・チソン、松井大輔、三浦淳宏らを語った【写真:Getty Images & 産経新聞社】

徳島コーチのエンゲルス氏が松井大輔、パク・チソン、三浦淳宏らを語った

 Jリーグ創設前から日本で指導者として活動し、監督としては横浜フリューゲルスや京都パープルサンガ(当時名称)などを率いたゲルト・エンゲルス氏は、今季J2の徳島ヴォルティスでコーチを務める。多くの選手を指導してきたなかでも京都時代に指導した元日本代表MF松井大輔と元韓国代表MFパク・チソンが欧州でも長いキャリアを築いた。「90%までは練習で育てられる」と話すドイツ人指導者は、元日本代表MF中田英寿が活躍した理由を例にとり、指導した選手で今の環境なら欧州で活躍できただろうという名手の名前も挙げた。(取材・文=轡田哲朗/全6回の5回目)

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 エンゲルス氏は2000年から4シーズンに渡って京都を指導した。コーチとして始まったが、半年後には監督を務めることになり3シーズン半を過ごした。特に2001年のJ2優勝から翌年の快進撃と天皇杯制覇は鮮烈な記憶を残した。なかでも中心的な存在だったのが、松井とパクだった。「まず、この2人の話をすると、それぞれ性格もサッカーも全く違うと思う。でも、それも大事で、こういうタイプだから結果が出る、出ないじゃない。全ての道はローマに通ずって言葉もあるね」と、笑顔を見せた。

「大輔は有名な選手になったときにファンタジスタってニックネームもついたし、才能もドリブルもクリエイティブで目立っていた。フェイントもドリブルもあった。もちろん失敗も最初はあったし判断ミスもあったけど、そういう思い切りやアイディアが光る、目立つ選手だったね。

 パクは性格的にもっと大人しいけど、彼は18歳や20歳なら波があるのに、最初からそんな年齢じゃないような安定感があったね。各試合、若いときも同じレベルでやっていたと思う。言葉の問題もあったからそんなにいっぱい話したわけじゃないし、明るいタイプだったけどエモーショナルかって言われるとそうじゃない。でも、ストイックで安定していた。これはウソじゃないけど練習でも毎回、同じレベルの100%を出してやっていた。そうやって安定して、ステップアップして上にいったね」

 松井は主にフランスでキャリアを築き、パクは名門マンチェスター・ユナイテッドでレギュラー出場を勝ち取るに至った。そんな彼らを若手時代に指導したエンゲルス氏だが「パクを育てた、松井を育てたとは絶対に言わないけど」と笑いながら、選手の才能を開花させるのに必要なものを語っている。

「一番大事なのは、若い選手を試合に出すこと。練習だけで育てるのは無理だと思います。90%までは練習で育てられるけど、それ以上の10%は試合に出さないと出てこないね。色々な才能も、試合に出てなくてうまくいかなかった人もいると思う。選手としては、出られるまでは頑張るべき。でも、ずっと出さないで我慢させていたらいなくなってしまうし、ポテンシャルも出てこない。練習で育てるとか話をするのも大事。でも、最終的には試合に出すとポテンシャルも出てくるし、出さないと難しい。その10%は試合に出た後だと思いますね。

 大輔と3年、パクと2年半いたけど、同じ練習をやったし一緒にいたから、少し影響はあるかもしれないですね。練習とかもあるけど、基本的なのは最初から試合に出したし、使ったこと。良くない試合のときも使ったし、それが一番大事だったと思う。でも、その2年間も決して悪くなかったと思うし、選手も成長したと思いますよ」

 2000年代初頭の日本サッカー界は、限られた一握りの選手だけが欧州でプレーする環境だった。98年に中田がイタリア・セリエAのペルージャへ移籍して大活躍。当時の日本代表で中心だった名波浩、中村俊輔、小野伸二といった選手たちも次々に欧州へ移籍したが、現在のように欧州5大リーグや周辺国の1部リーグに日本人選手が簡単に見つかるような環境ではなかった。

 エンゲルス氏は「山口(素弘)は当然、パーソナリティーも含めすごかった。でも、僕は三浦淳宏のポテンシャルはすごいと最初から思った。右足も左足も蹴って、パワーもあって何でもできる。あの時、ヨーロッパへの移籍は特別だったけど、今と同じスカウティングがあったら、特にアツは絶対にヨーロッパに行ったし、絶対に大活躍できたと思う」と、横浜フリューゲルスでのルーキー時代から知る名手の名を挙げた。そして、活躍できたと言える理由を選手の特性にあると語る。

「特にあの時期は日本にいっぱい良い選手がいたし、ポテンシャルはあったと思いますね。でも、あの時期の典型的な日本人選手はまだ、パワーがなくてスタミナと技術だった。色々なタイプがいたけど、スピードとパワーの強さがある選手がヨーロッパに欲しい。そういう選手はその時期、あんまりいなかった。でも、アツはパワーも体もあった。フリーキックもコーナーキックも良いし、両足が使えて、ドリブルもできた。ポジションもあっちこっちできた。面白い存在だったと思うよ」

 日本が得意とされるショートパスをつなぐサッカーについて、「日本の技術、つなぎ、もちろん武器だと思いますね。それこそドイツにも勝ったし、ショートパスゲーム、みんなが良く走るし、規律も武器だね」と、ワールドカップ(W杯)で母国を破ったことも例に挙げる。一方で、個々の欧州移籍には違った部分があると、当時の中田を例に挙げた。

「11人でやるのと、どこかのチームに1人か2人で入るのはちょっと違う。味方の考え方やヨーロッパのチームのやり方も違う。そうなると、難しくなる選手もいると思いますね。でも、ヒデは横パスとか何回も触るではなく、彼はまっすぐにプレーできた。中盤から前に運んでいって、ミドルシュートを打つパワーもあった。そういう選手がイタリアでは合っていたと思いますね」

 まさに11人が日本人で構成されるチームと、1人で入っていくことの違いはどの選手にとっても海外移籍の課題になるもの。それでも、三浦ならその壁を乗り越えて活躍する姿があったのではないかと、エンゲルス氏は当時を懐かしんでいた。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)



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