J入団条件に欧州留学 U-20監督の尖っていた若手時代も…ピッチ外で見せた”別の顔”【コラム】
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U-20日本代表の船越優蔵監督の素顔に迫る
U-20日本代表は、中国で開催されたU20アジアカップの準々決勝でPK戦の末イランを下した。この結果、9月27日からチリで開催されるU-20ワールドカップ(W杯)への出場権を獲得している(アジアカップではU20とハイフン抜き、ワールドカップではU-20とハイフンが入るのが正式名称になっている)。
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このU-20日本代表を率いるのは船越優蔵監督。2023年7月にU-18日本代表監督に就任し、そのチームを育てている。194センチの巨躯はどこにいても目立つ存在だ。船越監督、現役時代はさまざまな「逸話」を生み出した。国見高校時代から大型ストライカーとして期待され、1996年、ガンバ大阪に入団。だが本人は元より日本でプレーする気があまりなく、高校時代から世界を目指していた。
そのためG大阪入団の条件としてヨーロッパ留学を入れていた。そして入団してまだJリーグ出場もしていない1996年6月にはオランダ2部のテルスターへと武者修行の旅に出る。1年が経過し、本人はヨーロッパに残りたがったが、「留学」だったためG大阪に復帰。ところが戻ってくると強烈なFWパトリック・エムボマがいて出番はほとんどなかった。
そこで奮起すれば良かったのだが、逆に監督に対する不満を溜め込んでしまった。コーチやベテラン選手から諭されるものの、どこ吹く風。プライドだけが先行してしまう。結局1996年から1998年のG大阪在籍時代の成績は、3試合出場0得点。そして1998年でG大阪との契約が終わる。それでもJ1のベルマーレ平塚が声をかけ、本人も「別のチームなら活躍できる」とやる気満々で移籍先に向かった。
だがそんなに甘くはない。1999年は12試合出場1ゴール。チームはJ2に降格し、契約は終わった。だが湘南ベルマーレとして再スタートしたチームで、新たな指揮官となった加藤久監督が声をかけ、もう一度湘南と契約する。もっとも最初は練習生だった。
■試合後に先輩たちと顔を合わせた振る舞いは好青年そのもの
そこからは復活のためにもがき続けた選手生活が始まる。肉体改造に取り組み、大分トリニータ、アルビレックス新潟、東京ヴェルディ、SC相模原でプレーし、2010年末に現役を引退することになった。引退後は指導者一筋。新潟のU-13監督、ザスパクサツ群馬コーチ、JFAアカデミー福島U-14監督などを歴任し、2020年にはU-17日本代表監督も務めている。
こうやって振り返ると、いかにも不良青年が苦労をして更正したように見えてしまうが、実は「やんちゃ」だと思われていた時期にも別の顔があった。ピッチ外で見た姿はとても礼儀正しかったのだ。名門国見高校は多くのJリーガーを輩出しているため、試合後に先輩たちと顔を合わせることがよくある。その時の態度は好青年そのもの。
先輩よりも自分のほうが名が売れていたとしても、敬語での挨拶は当たり前。先輩のために飲み物を取ってきたり、さまざまな気を配ったりと偉ぶる様子はなかった。こんな姿を見ていると、報道陣に対応するときの言葉も、実は突っ張っているのではなくて自身を諌めようとしているように思えた。ぶっきらぼうではなくて、偉ぶらないようにという気遣いではなかったかと感じることが出来た。
実際、現役時代を終えて話を聞くと「自分は選手としてはダメだったから」「苦しい時が多かったから」と、いつも謙遜から始まっていた。本来はそんな性格だったが、選手として戦わなければいけなかった時代は必要以上に肩肘を張っていたのだろう。そしてその鎧を脱いだところで本当の姿が顔を出し、その優しさと配慮が指導者に向いているのではないだろうか。
2023年には日本代表のコーチも経験。練習場で他のコーチの手伝いを積極的に行っていた様子は、かつて先輩たちに気を遣っていたときとオーバーラップするものだった。
■今後問われる船越監督の手腕
U-20 W杯出場を決めたあと、船越監督はオンラインの共同取材で「ホッとしているところもあるが、今はアジアチャンピオンになりたい気持ちが強い」と語っていた。プレッシャーを1つ跳ね除けたという本音と、選手に上を目指し続けてほしいという気持ちが混じっていた。もっとも船越監督にはまだまだ張り切ってもらわなければならない。日本代表の合宿に呼ばれたのは、その基準を目の当たりにし、そこに選手を送り込んでほしいという森保一監督の期待にほかならない。
監督も「(選手たちは)W杯を目指すべき。我々としては常に(日本代表からの)話があれば、すぐに行ってもらう準備をしているし、そう常々選手にも言っている。上に選手をつなげるのが我々の使命です」と語る。
船越監督は、U-20W杯までで選手をどれだけ成長させられるかというのが、今後問われる。世界的に見ると20歳で活躍している選手は列強チームの中でもたくさんいる。日本でも、冨安健洋、堂安律、久保建英などは20歳前後で代表デビューを飾っている。
今のU-20日本代表の選手が日本代表に入ってこない限り、日本が強さを継続的に保つことは出来ない。これから先にもっと強くなることもできなくなるということだ。船越監督のさらなる奮闘に期待したい。
(森雅史 / Masafumi Mori)
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森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。