契約残して解任「悔しかったけど納得するしか」 浦和の名コンビ…今でも親交の深い戦友【インタビュー】

(左から)かつて浦和で指揮を取ったゲルト・エンゲルス氏とギド・ブッフハルト氏【写真:Getty Images】
(左から)かつて浦和で指揮を取ったゲルト・エンゲルス氏とギド・ブッフハルト氏【写真:Getty Images】

徳島コーチのエンゲルス氏「チームスピリットと友達は色々な人が勘違いしてる」

 Jリーグ創設前から日本で指導者として活動し、監督としては横浜フリューゲルスや京都パープルサンガ(当時名称)などを率いたゲルト・エンゲルス氏は、今季J2の徳島ヴォルティスでコーチを務める。彼が名コーチとしての名声を確立したのは、ギド・ブッフバルト氏が監督に就任した浦和レッズで過ごした2004年からの黄金期を支えたこともあるだろう。タレント軍団とも称された当時の浦和がまとまるのに必要だったチームスピリッツの中身を、ドイツからやってきた名コーチの言葉から探る。(取材・文=轡田哲朗/全6回の4回目)

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 1993年のJリーグ開幕前から日本にやってきて横浜フリューゲルスのコーチや、合併前の劇的な天皇杯優勝を監督として過ごしたエンゲルス氏は、ジェフユナイテッド市原(当時名称)と京都の監督を経て、浦和のコーチに就任した。監督には、晩年に浦和でプレーしたドイツの伝説的な選手だったブッフバルト氏が就任。指導者のキャリアとしては初めてとなるレジェンドを、経験を生かして支える立場が期待されたが、自身もその役割を理解して仕事を始めたという。

「僕は何年も(指導者として)ピッチに立っていたし、練習内容のプランニングをしていたのでそれは生かしたと思う。ギドはカリスマだしリーダーシップも取った。でも、監督でのピッチには立っていなかった。だから、良いコンビだったと思う。もちろん言葉も通じたし、色々と解決できた。ギドにもサッカーのコンセプトやアイディアがあったし、そのイメージもギドらしいけど、話をするとメンタリティーのことが最初に出てくる。選手としてもそれが強かったし、監督でも勝ちたい気持ちとか全力っていう気持ちが結構あったと思う」

 こうした役割分担は、当時の浦和がスター軍団と言われた選手層だったことともマッチしたかもしれない。ブラジル人FWエメルソンとFW田中達也の快速コンビ、最終ラインには指揮官の現役時代を彷彿させる闘将の田中マルクス闘莉王がいた。年を追うごとに加入した選手もMFロブソン・ポンテ、MF小野伸二、FWワシントンといった1人で試合を変えられるレベルの選手たち。ほかにも、MF鈴木啓太やMF長谷部誠、DF坪井慶介といった日本代表級の選手が揃い、全体にキャラクターは濃かった。

 そうした選手をまとめるのにブッフバルト氏のカリスマ性は役に立ったというエンゲルス氏だが、よく言われるチームスピリットと仲良し集団の違いをこう言葉にしている。

「チームスピリットで勘違いになるのは、みんな仲良しで友達であるってこと。飲みに行くとか冗談を言い合うとか。それはたぶん、社会人のチームスピリットとしてはすごく大事だね。でも、プロの世界ではみんな同じ目的を持つこと。その目的のために100%を出すこと。例えば味方のサポートをする、勝つためにベストを出す、勝つために問題を話して解決する。チームスピリットと友達は色々な人が勘違いしてる。まあ、完全に仲が悪いとうまくいかないけど、友達も別にいらない。目的を守るためのスピリットが大事で、それがチームスピリットなんだ」

 エンゲルス氏は、そうした部分をまとめ上げる手腕と浦和にブッフバルト氏が伝えたことの大きさを横でコーチとして見ていた日々からこう話している。

「相手をリスペクトすることで、わがままじゃなくてチームのために頑張る。チームが勝つため、試合のときに一番いい解決方法を見つける。味方のためカバーする、走るとかね。ギドもキャリアのなかではドイツで優勝候補じゃないチームで優勝したことがあるし、ワールドカップも勝って、すごいキャリアがあるからプロフェッショナリズムがすごくあった。それは1つの大切なことだったと思う。あのときのJリーグは、若くはないけど成熟しきっていなかった。そのプロフェッショナリズム、勝つために全ての力を出すっていうのが、ギドが選手にうまく伝えた大きなことだと思う」

 ブッフバルト氏の下で浦和は2004年に第2ステージ優勝、05年から天皇杯を2連覇し、06年はリーグ優勝を飾った。07年に就任したホルガー・オジェック監督をコーチとして支えてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝も経験したエンゲルス氏だが、08年はわずか2試合でオジェック監督が解任の憂き目に。その後を受け監督に就任するも、思うように成績は上がらずにシーズン終了後に浦和を去ることになった。

「タイミングは非常に難しかったよね。オジェックのときには少しだけ雰囲気の問題はあった。ACLは勝ったけどね。ほぼ4年間、一緒にやったけどメンバーも変わっていなくて、少し年も取ってきた。監督になるのは、まずはうれしかった。選手はみんな知ってたし、ゼロから違うことをやろうともできなかったし、そのまま今まで良かったことを続けようと。メンバーとかフォーメーションがちょっと変わっていたから元に戻そうとか。

 あの時期のレッズの場合、目標は優勝、少なくとも優勝争いって雰囲気もあった。シーズンの後に契約を続けられなかったのは悔しかったけど、納得するしかないね。5年間いたから、残りたい気持ちは大きかったよ」

 今でもブッフバルト氏とは家族ぐるみの付き合いがあるという。戦友であり、その日々が親友と言えるような関係になったことは理想的なことの1つかもしれない。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)



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