怪物ロナウドの“奇抜ヘア”に隠された真実 マスコミも欺いた情報戦「まんまと策に」【秘蔵】

【カメラマンの目】怪我への関心をマスコミから逸らしたロナウドの髪型
サッカー大国ブラジルが生み出した最高傑作の1人に数えられるロナウドが、セレソンの舞台でもっとも輝いたのが2002年ワールドカップ・日韓大会だ。ロナウドは優勝と得点王のダブルタイトルを手にし、代表選手としての絶頂をこの大会で迎えた。(文=徳原隆元)
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そんなロナウドを撮影していて少し残念に思ったのが、大会終盤における彼のエキセントリックな髪型だ。ブラジルの背番号9は、準決勝と決勝を額の上の部分だけを残す髪型で戦っている。どうにもその髪型は世界一の称号を賭けた戦いには、不釣り合いに見えた。
結果的にブラジルはこの日韓大会で優勝を果たすが、対照的に南米予選では大苦戦を強いられていた。成績不振により4人の人物(バンデルレイ・ルシェンブルゴ、カンジーニョ、エメルソン・レオン、ルイス・フェリペ・スコラーリ)が指揮を執り、最終節で辛くも本大会出場を決める綱渡りの戦いで南米予選を突破している。
低迷の理由は、最初の指揮官であったルシェンブルゴの独善的な指揮ぶりがもっとも深手となったが、チームの得点源として期待されていたロナウドが、1999年に負った膝の怪我により長期離脱していたことも、大きな原因だった。
当然、南米予選の最終節にもメンバーに選ばれていないが、本大会にはなんとかメンバー入りを果たす。当時の心境としては南米予選終盤のホームでは勝利するが、敵地では負けるという流れを繰り返して苦しむブラジルの姿を目の当たりにしていただけに、サッカー界最大の祭典でチームの救世主として期待される、被写体として最高のロナウドがピッチに立つことに喜びを感じていた。
そして、ブラジルはロナウドの活躍によって勝利を重ねていく。だが、実際は怪我から復帰を果たしたとはいえ、コンディションには不安が残っていたようだ。
後日談として、ロナウドは準決勝を前にして負傷していたため、注目を怪我から逸らすために奇抜な髪型にしたと語っている。いま思い返してみれば、ロナウドが万全の状態でないことはあまり報道されず、対戦相手だけでなくジャーナリストたちもそのことを注視していなかったのではないだろうか。かくいう自分もロナウドに対して、そうした不安を抱えていることをプレーや振る舞いから読み取ることはできなかった。
報道陣たちはまんまとロナウドの策にはまったということだ。その話を聞いて、世界最高のストライカーであった選手の奇抜な髪型も納得できた。ロナウドはW杯で対戦したチームだけでなく、マスコミにも勝っていたのだ。
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。