“足が遅い”SBがJクラブで重宝された理由 元代表監督から受け取った“金言”「救われた」【インタビュー】

G大阪在籍時の下平匠氏【写真:産経新聞社】
G大阪在籍時の下平匠氏【写真:産経新聞社】

下平匠氏がG大阪時代のポジション争いを振り返った

 2024シーズン限りで現役引退を発表した下平匠氏は正確なキックを武器とする攻撃的な左サイドバックとして活躍してきた。一方で、守備は苦手だったと自身も認めているが、日本代表クラスの選手たちとの熾烈なポジション争いのなかで、どのようにして出場機会を勝ち取ってきたのだろうか。その秘訣に迫る。(取材・文=石川遼/全4回の2回目)

【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!

   ◇   ◇   ◇   

 下平氏は2007年にG大阪のユースからトップチームに昇格してプロデビュー。その後は大宮アルディージャ、横浜F・マリノスでレギュラーとして活躍した。ジェフユナイテッド市原・千葉を経て、関東1部リーグの南葛SCでもプレーし、2024年11月に現役引退を発表した。

 デビューから5シーズンにわたって所属したG大阪では熾烈なポジション争いを繰り広げた。左サイドバックはユースの1年先輩にあたるDF安田理大の定位置だった。プロ2年目は安田が右サイドで起用される機会が増えたことで出番を増やし、リーグ戦で15試合に出場。09年シーズンには27試合に出場するも、シーズン終盤にはDF高木和道が左サイドで起用されるようになった。

 2011年には安田がオランダへ移籍したこともあり21試合に出場したが、度重なる負傷に見舞われる間に大卒からプロになった同い年のDF藤春廣輝が台頭してきた。競争は絶えなかった。下平氏は「安田選手や藤春選手のように、日本代表になるような選手ばかりがライバルだったので、そういった選手たちと争うなかで、自分にしかできないことや自分が得意なことをどのようにして出していくか。それを常に考えていました」と当時を振り返る。

「僕はあまりスピードがなかったので(デビュー時から)そこは通用しないなって思ってました。ただ、逆にボールの扱いや、蹴るとか止めるというところはそれなりに通用すると感じていたので、いかに短所を見せずに長所を見せられるか。そして、どうすれば試合で使いたいと思ってもらえるのかということを考えながらプレーしてました」

選手としての大きな強みになった“考えながらプレーする”意識

 この“考えながらプレーする”意識は、中学生の時点ですでに芽生えていたという。もともとはトップ下の攻撃的MFだったが、試合に出られなかったことから中学時代に左サイドバックにコンバートされた。「当時から自分は足が遅いということに気づいていましたから」。フィジカル面で敵わない相手を戦うためにはどうすればいいのか。頭を常に回転させながらピッチに立っていた。気づけば、それが選手としての大きな強みになっていた。

「プレー中は『どうすれば相手の逆を取れるか』みたいなことばかりに集中していたと思います。『相手が今、何を考えてるんだろう』とか『今こっちに動いたら、ここにボールがこぼれてきて相手よりボールに早く触れるんじゃないか』とかそんなことばっかり考えてました。ほかの人に比べて、明らかに足が遅いっていうのはもう自分でも客観的に見て分かっていたので、そのなかでどうやって生きていくかっていう視点に早くたどりつけたのが良かったんだと思います」

 また、G大阪を率いていた西野朗監督からは「得意ではなかった」と認める守備について、こんなアドバイスも受けたという。

「(スピードがある相手とのマッチアップで気をつけていたことは?)当時のガンバのボランチは明神(智和)さんと橋本(英郎)さんだったんですけど、西野さんから『お前はとにかく絶対に縦だけには行かせるな』って言われたんです。『そうすれば明神と橋本が何とかしてくれるから』と。そう言われて、1人で守らないでいいんだって気が楽になったというか。きっとチームによってはサイドバックが1人でもしっかり守らないといけないと思うんですけど、そう言われて救われました。本当に監督が西野さんでよかったなと思いました」

 決して身体は大きくなく、スピードにも自信はなかった。それでもボールを持ったアタッカーと1対1でマッチアップする機会が多いのがサイドバックだ。日本代表も率いた西野監督からの助言はその後のキャリアにも大きな影響を与えた。

 2014年に加入した横浜F・マリノスでは、DF中澤佑二、DF栗原勇蔵、DF小林祐三とともに堅牢な4バックを形成するなど、J1のトップレベルで活躍を続けた。左足の正確無比なキックが最大の武器だったレフティーは、スピードやパワーといった自分に足りない部分を“頭”でカバーし、選手生活18年という偉大なキャリアを築き上げていた。

大人のサッカースクールを「After Party Football Club」主催している下平匠氏【写真:本人提供】
大人のサッカースクールを「After Party Football Club」主催している下平匠氏【写真:本人提供】

下平匠氏が最近始めた大人のサッカースクール「After Party Football Club」

(石川 遼 / Ryo Ishikawa)



page 1/1

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング