ドイツ人指導者が日本語を学んだ訳 Jリーグ創設前に苦労も…芽生えた日本愛「全てが好きになった」【インタビュー】

徳島でコーチを務めるゲルト・エンゲルス氏【写真:(C) VORTIS】
徳島でコーチを務めるゲルト・エンゲルス氏【写真:(C) VORTIS】

徳島コーチのエンゲルス氏「教えてやろうという気持ちから入るとうまくいかない」

 Jリーグ創設前から日本で指導者として活動し、監督としては横浜フリューゲルスや京都パープルサンガ(当時名称)などを率いたゲルト・エンゲルス氏は、今季J2の徳島ヴォルティスでコーチを務める。そもそも、なぜプロサッカーリーグのない日本にやってこようと思ったのか。「ドイツから来て日本人に教えてやろうという気持ちから入るとうまくいかないね」と話したベテラン指導者が、流暢な日本語を操るようになったのはアマチュア時代の経験だったという。(取材・文=轡田哲朗/全6回の2回目)

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 現役時代にU-18西ドイツ(当時)代表に選ばれ、名門ボルシアMGでのプレー経験も持つエンゲルス氏だが指導者の道に進むと、1990年に来日した。当初のプランは「僕の日本に行く前くらいの個人的な目的は、できたらサッカーを仕事にしたかった。でも、それは分からないから日本に2、3年行こうと思った。海外の経験も大事だと思ったし、キャリアのプラスになると思ったしね。そして経験を積んで、ドイツに戻るか何か違うことをしようと思った」というものだったという。

 そのはずが「最初からもう食事から人間も、日本のことが好きになった」というエンゲルス氏はアマチュアの指導を通して日本サッカーに深くかかわっていくことになった。しかし当時はプロリーグもなく、日本サッカー冬の時代とすら言われたころ。Jリーグ開幕という春は近づいていたものの、環境は厳しかった。しかし、それは語学の習得という点でプラスに働いた面もあったという。

「Jリーグが始まる前に社会人チームや、子供たちにも教えていたね。幼稚園から高校くらいまで。特に小さい子や若い子はすごく簡単な日本語をしゃべるし、遠慮がなかった。それで簡単な日本語を覚えたね。Jリーグのチームだったら途中から入っても最初の練習から通訳がいるけど、社会人チームにそんな金額はないから通訳もいなかった。だから、勉強しかない。覚えるしかないから、それは助けになったね。やるしかない状態ってことだから。

 サッカースクールから社会人チーム、滝川第二高校と進んだけど、滝川第二のときには黒田(和生)監督と仲良くなったし、学校以外でも食事したりカラオケやったりいろいろと話して、日本語もうまくなったし、日本の全てのことが好きになった」

エンゲルス氏が日本語を学んだ訳

 エンゲルス氏の経歴を振り返ればJリーグのクラブで監督やコーチを務めてきた。サッカー大国ドイツの出身ということもあり、通訳を見つけるのは難しくない。しかし、全てのインタビューに日本語で応えられるほどの勉強も続けた。その理由をエンゲルス氏はこう話している。

「まだ(日本語の会話で)勘違いすることもあるけど、コミュニケーションも大事だから、言葉が全く分からないとコーチや監督の仕事が難しくなるね。外国人がいて僕がアシスタントコーチのときもあったけど、通訳がいても直接話をできた方が良いと思う。すごくレベルの高い通訳もいるけど勘違いすることもあるし、通訳はサッカーを知りすぎでも知らないのでもあまり良くない。ちょっとだけでも自分の言葉で伝えると良いと思う」

 これまでのJリーグを中心とした指導チームの光景でも、選手が自然とエンゲルス氏との会話をする場面は多く見られた。専門的な用語が多発する場では通訳の必要性が生まれることもあるだろうが、直接会話ができるメリットは大きい。一方で、言葉を覚えることだけでなく互いの文化を尊重することも大事だと海外での指導について語った。

「僕はお互いに少しだけ合わせるべきと思います。選手にプライドもあるけど、監督がドイツから来て日本人に教えてやろうという気持ちから入るとうまくいかないね。『これしかない』とかじゃなくて、ちょっと妥協するのも大事だと思う。例えば世界のどこでも切り替えをしない選手、ディフェンスをしない選手はうまくいかない。それでも、教え方や言い方は合わせないといけない。思い切り自分のやり方、文化、マナーをコーチングに入れるのは絶対にうまくいかないと思いますね。

 そのチームのこと、日本のことも日本人のこともちょっといろいろと知ってるけど、選手は選手で、日本人とかドイツ人とか言うのも好きじゃなくて、できるだけ1人ずつ評価して判断したいね。ドイツ人がみんなビール飲むときにソーセージを食べるわけじゃないから、典型的な日本人もいるかもしれないけど、それを言ってもいけないと思う。1人ずつ全部違うからね。でもずっとドイツにいると、日本人は寿司を毎日食べると思うかもしれない」

 そんなエンゲルス氏だが、日本で過ごす日々の前半とも言える1990年代最大のハイライトが横浜フリューゲルス時代だ。まさかのチーム合併は、母国ドイツで見てきた財政難に陥ったクラブが取ってきた解決方法とはまるで違うものであり、大きなショックがあった。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)



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