ギリギリでユース昇格→17歳でプロ契約 FW歴わずか1年…“文武両道”で挑む世界への一歩【インタビュー】

クラブ最年少でトップチーム昇格を果たした横浜FMの浅田大翔【写真:(C) 1992 Y.MARINOS】
クラブ最年少でトップチーム昇格を果たした横浜FMの浅田大翔【写真:(C) 1992 Y.MARINOS】

【横浜F・マリノス編】浅田大翔、16歳でトップ内定も「何をできるかが大事」

「日本サッカーを共に盛り上げる」を新たなコンセプトに掲げる「FOOTBALL ZONE」では、クラブや選手の魅力を“深掘り”する「ZONE的Jクラブの深層」を掲載。今回は、クラブ最年少でトップチーム昇格を果たした“逸材”FW浅田大翔にスポットを当てる。プロの世界を歩み始めた現在の心境に加え、17歳の素顔に迫った。(取材・文=藤井雅彦)

【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!

  ◇   ◇   ◇   

――16歳でトップチーム昇格が内定し、17歳でプロ契約を締結しました。クラブ史上最年少での“飛び級”です。

「僕の中で年齢は関係ないと思っています。世界には自分の年齢で活躍している選手がいますし、早いか遅いかではなく、何をできるかが大事だと思っています」

――具体的にトップチーム昇格の話が持ち上がったのはいつ頃だったのですか?

「(2024年)9月の終わり頃にクラブからお話をいただきました。ただ、まだ高校2年生で学業もあるので、家族と相談しました。決断したのは10月の終わり頃だったと思います。悩みましたが、自分が信じた道に進ませてもらえることに感謝しています。

――昨夏に行われたニューカッスルとの親善試合のピッチに立ち、11月にはACLEリーグステージのブリーラム・ユナイテッド戦でプロデビューを飾りました。浅田選手にとってはどのような意味を持つ経験でしたか?

「たまたま出場できただけで、プレーとしては手応えを感じるほどのインパクトを残せたとは思っていません。プロデビューできたのは嬉しかったけれど、もっとやらなければいけないという意識が強くなりました」

――昨年の早い段階から練習参加していました。ユースとプロでレベルの違いを感じた部分は?

「スピード感が違いました。プレッシャーの速さもパススピードもまったく違います。トップチームの練習に参加したあとにユースへ戻ると、どうしてもレベルダウンした感覚になってしまうので、高い意識でプレーをし続けることが自分の課題でした。それからプロの世界はワンプレーずつの緊張感が違います。早くトップのカテゴリーでプレーをしたいと思ったきっかけですし、世界へ飛び出していくためにも必要なステップアップだと思いました」

――プロ選手たちから刺激を受けたわけですね。

「昨年は(水沼)宏太くん(現・ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC)にたくさん声を掛けてもらいました。優しいですし、尊敬している先輩ですが、時には『もっとやらなきゃダメだよ』と厳しいことも言ってもらいました。練習中も練習後もそういった言葉をかけてもらって、プロの世界で生き残っていくために必要な心構えや意識の高さを知りました」

――その一方で、学生だからこそ得られる経験や過ごせる青春もあると思います。

「それは少しだけ考えました(笑)。高校生になってからは文化祭などの学校行事になかなか参加できていなかったのですが、昨年12月に修学旅行へ行けたのが良い思い出になりました。通学に1時間以上かかったので早起きは大変でしたが、それ以上に友だちと過ごす学校生活は楽しかったです」

――大学付属の私立高校に通っていたということで、まさしく文武両道でした。

「勉強は得意ではないですが、中学時代はテストの1か月前くらいは頑張って勉強していました。一応、オール5でした。得意教科は特になかったけれど、強いて言えば体育が好きでした」

――いわゆる一般的な学生生活が終わります。

「実は結構、ネガティブな性格なんです。だから寝る前に『もう青春できないなぁ』と考えることはありますが、大好きなサッカーだけに打ち込めるのは幸せだと思います。あとは突き進んでいくだけです」

普段のトレーニングからプロの世界で必要な意識や心構えを日々吸収している【写真:(C) 1992 Y.MARINOS】
普段のトレーニングからプロの世界で必要な意識や心構えを日々吸収している【写真:(C) 1992 Y.MARINOS】

浅田大翔のポジション遍歴

――浅田選手はFW以外のポジションでプレーしていた時間が長いと耳にしました。

「2歳上の兄の影響で5歳からサッカーを始めたのですが、FWのポジションでプレーするようになったのは高校1年生の途中からです。その直前まではボランチの選手でした」

――それは意外です。ポジション遍歴を聞かせてください。

「小学生の時はセンターバックでした。身長が大きかったからでしょうね。ラインコントロールや相手との1対1はすごく楽しかった。ジュニアユースに加入した中学校1年生の時は右サイドバックをメインでやっていました。2年生でトップ下になって、3年生で今度はボランチになりました。前へ行ったり、後ろに行ったり、忙しかったけれど、それくらい自分のポジションが見つからない選手だったんです」

――ユースに進んでからは?

「そもそも自分はジュニアユースからユースに上がるのもギリギリの選手だったと思います。高校1年生の時もボランチでしたが、プレミアリーグの終盤に怪我人が出たのがきっかけで右ウイングに抜てきされたんです。その週の試合で積極的に突破を仕掛けたのがアピールになったのか、2年生からは前線に固定されました」

――転機が訪れたわけですね。

「最初はビックリしました。右サイドバックでのプレー経験はあったけれど右ウイングでのプレーは初めてでしたから。それにボランチでプレーをしていたので、自分から仕掛けていくタイプでもなかったですし。目立ちたいという思いも、特に強かったわけではありません」

――つまりFW歴1年ちょっとでプロ契約を掴み取った、と。

「自分を育ててくれた横浜F・マリノスのアカデミーには感謝しています。チームメイトと楽しくサッカーをやれたのも良い思い出です。ですが、タイトルを獲れなかったことだけが心残りです。これからはプロサッカー選手として、誰よりも目立っていきたい」

――ストライカーとして意識していること、心掛けていることはありますか?

「試合のリズムを掴むために、早い段階でシュートを1本打つことを意識しています。途中出場の場合は特にそうです」

――プロ1年目の目標は?

「とにかく早く試合に出場して、得点を取って、チームを勝たせることが目標です。それから、初任給ではこれまで支えてくれた両親に旅行をプレゼントしたいと思っています」

――横浜F・マリノスの一員としてプロ生活が始まりました。自分自身への期待を聞かせてください。

「実は、幼少期から家族全員でF・マリノスを応援していて、ユニフォームも買って持っていました。小学生の時は何度も日産スタジアムで観戦して、2019年にリーグ優勝した瞬間もスタジアムにいたんです。中学生になって、ずっと憧れていたクラブのユニフォームを着ることができた時は本当に嬉しかったですし、ジュニアユースの時はボールパーソンを務めて一番近くからプロのプレーを見ることができた出来事も忘れられません。ちなみに僕はバックスタンド側で待機していることが多かったので、スローインの時に(松原)健くんにボールを渡しました。ずっと憧れていたクラブで、プロサッカー選手としての一歩目を踏み出せることに興奮しています」

[プロフィール]
浅田大翔(あさだ・ひろと)/2008年1月16日生まれ、神奈川県出身。SCH.FC(藤沢市立六会小学校)-横浜F・マリノスジュニアユース(藤沢市立六会中学校)-横浜F・マリノスユース(法政大学第二高等学校)-横浜F・マリノス。クラブ史上最年少となる17歳でのプロ契約締結を果たしたほか、AFCチャンピオンズリーグエリート・リーグステージのブリーラム・ユナイテッド戦(24年11月6日)の16歳9か月21日での出場はクラブ2番目の年少記録に。ポジションはFWで、180cm・77kgの体格を武器に強い推進力を持ち味としている。

page1 page2

藤井雅彦

ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング