「正直、プロだと厳しい」と懸念も…驚きの出世劇 Jデビュー後4年でW杯へ「一瞬でした」【コラム】

川崎でテクニカルコーチとして尽力、二階堂悠氏が振り返る黄金期
川崎フロンターレは過去リーグ優勝を4回、天皇杯2回、ルヴァン杯1回と、現在までに七冠を獲得している。そのすべてのタイトルが前任者である鬼木達監督時代のものである。
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感慨深いタイトルといえば、やはりリーグ制覇になる。2017年と18年はクラブ初タイトルとなるリーグ優勝、翌年にリーグ連覇を達成した。そして2度目のリーグ連覇となる20年と21年は、史上最速優勝や最多勝点優勝などJリーグの記録を塗り替えるほどの圧倒的な強さを見せている。
この鬼木フロンターレ時代をテクニカルコーチとして8シーズン支えた二階堂悠氏に話を聞く機会があった。主にスカウティングを担当し、ドゥさんの愛称で選手やサポーターから親しまれてきた分析官である。
彼の中でも、2度目のリーグ連覇を達成したチームの選手たちは印象深いという。
谷口彰悟がキャプテンマークを巻いた当時のチームには、守田英正、三笘薫、田中碧、旗手怜央、山根視来といった、のちに海外に挑戦の場を求めていた日本代表の顔ぶれがズラリと揃っていた。そのほか20年限りで引退した中村憲剛だけではなく、家長昭博、小林悠、大島僚太、脇坂泰斗ら現在のクラブを牽引する存在も名を連ねている。志の高い集団だったと二階堂は明かす。
「あの時はシステムとか選手の質ももちろんありますけど、全員の向上心というか、気持ちのところがすごく充実していたのがありましたね。例えば映像も、みんなしっかり見て頭に入れておくし、試合に勝ってもすぐに反省していました」
この時期のチームの合言葉に「勝ちながら修正」がある。試合に勝っても必要以上に喜ばず、どこか淡々とロッカールームで反省点を話し合う雰囲気があったことは有名だ。
「勝って嬉しいのはもちろんあるけれど、すぐに『ここのシーン、こうだったでしょ』とかそういうのを選手同士で言い合える感じがありました。それは例えばアキ(家長昭博)に対してもそうだし、ショウゴ(谷口彰悟)に対してもそうだった。そこが勝利につながっていったのかなっていうのがありますね」
こうした光景が、次の勝利を呼んでいたというわけである。
例えば20年終盤から21年8月まで続いたリーグ無敗記録は30試合だった。これは12年から13年にかけて大宮アルディージャが樹立した21試合の無敗記録を大幅に更新するものとなっている。
黄金期の川崎で印象的に映った2人のタレント
選手に目を向けると、特筆すべき存在としては三笘薫がいたことが挙げられるだろう。現在プレミアリーグで活躍する日本代表だが、新人ながらJリーグで圧巻の活躍ぶりを見せた姿も記憶に新しい。そして意外かもしれないが、試合でマッチアップするディフェンダーに関して、かなり事前に分析して臨むタイプだったと二階堂は話す。
「クールですし、試合中も飄々とプレーするので、『相手はあまり気にしてないのかな?』と最初は思っていたんです。でも試合が近づくと『ドゥさん、相手はこういう感じですよね?』と話しかけて、こちらに意見を求めてきました。要は、自分で分析済みなんですよ。そして相手がこう守るから、自分がこう繰り出していくなど、いろんな選択肢を持っていましたね」
一般的に、スピードのあるドリブラーは本能的なタイプが多い。しかし、三笘は相手の情報も抜かりなく調べ、周到な準備をしたうえで臨んでいた。もちろん、試合後でも自分をアップデートすることを欠かさなかった。
「彼は常に考えながら練習していましたし、試合が終わったあとも味方とよく話していましたね。当時の三笘は新人でしたが、一流になる選手は事前の準備を大事にしているのだと感じました」
もう1人、印象的な選手として田中碧を挙げる。
「ユースから上がってきて足もとの技術は良かったんですけど、身体をぶつけられると倒れることも多く、フィジカルなどは最初は全然でした。正直、プロだと厳しいんじゃないかと感じたぐらいです」
二階堂がコーチとして加入した17年に、フロンターレU-18から昇格した選手だった。田中碧のプロ1年目の出場試合はゼロである。Jデビューした2年目の終盤に4試合出場。だが3年目には主力となり24試合出場と大きく飛躍を遂げた。プロデビューするなり結果を出し続けていたのが三笘ならば、出場機会がない中で努力を積み重ねて結果を出していったのが田中碧だったと話す。
「篠さん(篠田洋介フィジカルコーチ)と付きっきりで筋トレをしたり、毎日遅くまでやり続けてました。それを1年、2年と継続してたら筋力がついてきた。筋力がついたら足の速さなどスピードも上がっていました。そうなると、すごく自信を持ち始めてくる。ケンゴ(中村憲剛)やリョウタ(大島僚太)など見本となる選手たちが同じポジションにいたのも大きかったと思いますね。碧は僕から見ても面白かったです」
現在26歳の田中碧は、ドイツを経てイングランド2部のリーズ・ユナイテッドで奮闘を続けている。日本代表として2022年のワールドカップも経験したMFのやるべきことを積み重ねていくマインド、そしてより高いところを目指していた姿勢は今につながっているのだろう。
「芯がありましたね。試合に出られない時期がありましたが、『ここでの練習が一番レベルが高いのだから、やり続けないとダメですよね』と言ってました。練習からできるようになって、ここで試合に出場できれば、その先の日本代表もそうだし、そこから海外も行ける。そういう意識の高さはあったので、そこからは一瞬でした。そういうところを見ていた選手が当時はかなり多かったと思います」
2度目のリーグを連覇した20年と21年の川崎フロンターレは、語り継がれるほどの強さを見せた。なぜあそこまで強かったのか。その一端を垣間見ることのできた証言だった。(文中敬称略)
(いしかわごう / Go Ishikawa)

いしかわごう
いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。