欧州での活躍支えた恩師の指導「通用した」 半年で脅威の“156”…磨かれたドリブルの対応力【インタビュー】

札幌時代にドリブルで驚異のスタッツを記録した金子拓郎【写真:Getty Images】
札幌時代にドリブルで驚異のスタッツを記録した金子拓郎【写真:Getty Images】

金子を支えたのは名将ミシャの指導「海外でも実感」

 浦和レッズにベルギー1部コルトレイクからMF金子拓郎が加入した。プロキャリアのスタートは、日本大学在学中に特別指定登録された北海道コンサドーレ札幌。当時の指揮を執っていたのは、昨季限りで監督業に一区切りをつけた名将ミハイロ・ペトロヴィッチ監督だ。特殊だとも言われるミシャ式サッカーの中で、代名詞のドリブルは磨かれたという。(取材・文=轡田哲朗/全6回の3回目)

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 金子は日本大学4年時の2019年に札幌へ特別指定登録され、公式戦デビューを飾った。翌年に正式加入するとコンスタントな出場機会を掴み、得点力も身に付けていく。23年夏にクロアチア1部の名門ディナモ・ザグレブへと移籍する前のハーフシーズンは、21試合出場8ゴールという堂々たるスコアを残していた。

 なかでも金子と言えばドリブル突破というほどの地位をJリーグの中で築いていくようになった。それは、2023年の移籍前に半年間でドリブルの試行回数がJ1年間トップの156回を数えたことにも挙げられる。それについて少し驚いた表情も見せた金子だが、そこにはミシャ式のアシストがあったのだと話す。なぜなら、ドルブルの突破はボールを受けた瞬間からではなく、その前にいかに優位な状態でボールを受けられるかから始まるからだ。

「ポジション取りや動き出しからが大事ですよね。札幌でミシャさんのサッカーの時は、優位な状況を作り出してもらえたんですよ。だから、完全な1対1を自分に与えてくれていたから、それを突破すればいいだけの状態だったので、そういうドリブルのデータにもなったと思います。

 札幌でミシャさんの下でずっとやらせてもらっていて、選手として成長できた実感はすごくありますし、結果を残したことで自信もつきました。その中で、ドリブル回数や成功率のようなデータに現れたのはミシャさんのスタイルの下でやったからこそ、より発揮されていたものだったんだなと海外でも実感しました。すごく特殊なサッカーですけど、その中で生かされていたんだと思うし、そこで個が伸びたおかげで海外でも通用したと思います」

ミシャ式の難解トレーニングのおかげで「柔軟に対応できる力はついた」

 その名伯楽のトレーニングは、とにかく技術と頭の判断スピードを求められる、あるいは鍛えられるものが多い。例えばメイン練習の最初に必ずあるボール回しは、全てワンタッチでやらなければならない。ゲーム形式では、制限なし、リターンパス禁止、前の選手が2タッチ以上していたら自分は1タッチで回さないといけない、すべてワンタッチでやらなければいけない、といった要素が次々に加えられていく。最難関になると、オールワンタッチでリターンパス禁止までいく。それを、ピッチの縦だけを半分にした狭いエリアの中でGKも入れて11対11で当たり前に行っていく。

 そんなミシャの練習について金子は「めちゃくちゃ難しいですよね。制限が結構ある練習とか」と笑った。「入団して最初は本当にできなくて、『俺大丈夫かな? ついていけないぞ』と思っていたんですけど、やっぱりやっていると慣れてきて、できるようになっていると感じるようになるんですよ。個人としてもチームとしても、練習が試合に出るという感覚が強かったですね」と振り返った。

 それは、少し先にヨーロッパへ移籍した後に「監督交代も経験していろいろなフォーメーションも経験して、その時に求められることは多少違ってくるんですけど、そこで柔軟に対応できる力はついたと思うし、意識してやっていました」という部分につながったのだという。

 かつての指揮官に浦和への移籍は話さなかったものの「札幌の監督を終えられるとなった時には、通訳の大さん(杉浦大輔氏)を通じて『お疲れ様でした』というメッセージは送らせてもらいました。『ミシャさんのおかげで成長できたので感謝していますという旨のことを伝えてください』というお願いをしました」という。そして、「成長した姿を浦和で見せたいですね」と笑った。

 一方で、金子は海外移籍した際に「ずっとミシャさんの下でやっていたら分からなかった、感じなかった部分」もあったのだという。それは、文化の違いやリーグ戦の中でどのような立場のクラブでプレーするかにも関わる部分があった。(第4回へ続く)

[プロフィール]
金子拓郎(かねこ・たくろう)/1997年7月30日生まれ、埼玉県出身。前橋育英―日本大学―札幌―ディナモ・ザグレブ―ディナモ・ザグレブ(クロアチア/期限付き)―コルトレイク(ベルギー)―浦和。23年には札幌で半年間の在籍ながらJ1ドリブル総数で1位(156回)を記録。ザグレブ時代にUEFAカンファレンスリーグで8試合2得点。25年に地元クラブである浦和に完全移籍し、Jリーグに復帰した。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)



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