なでしこ主将なぜ英2部へ? 突出した経験と実績を「必要としてくれた」…新興クラブの野心【現地発コラム】

熊谷紗希がイングランド2部で新たな挑戦をスタートさせた【写真:Getty Images】
熊谷紗希がイングランド2部で新たな挑戦をスタートさせた【写真:Getty Images】

アメリカ人女性実業家を迎え変貌を遂げたロンドン・シティ・ライオネス

 去る1月23日に発表された、熊谷紗希のロンドン・シティ・ライオネス移籍。この日本女子代表キャプテンの獲得は、イングランドのウィメンズ・チャンピオンシップ(2部)に所属する新興クラブの決意表明にほかならない。

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 熊谷が、ロンドン南東部でホームデビューを果たした2月16日、リーグ中位のサンダーランドから、順当勝ち(2-0)を収めたリーグ首位の第1目標。それは、女子チャンピンシップ王者としてのウィメンズ・スーパーリーグ(WSL/1部)殴り込みだ。

 ロンドン・シティの野心レベルは、総じて右肩上がりのWSL勢に勝るとも劣らない。クラブは2019年に創設されたばかりだが、袂を別つことになった母体は、半世紀を超す歴史を持つミルウォール・ライオネス。かつて、イングランドで初めて、男子チームと同じプロクラブの傘下に収まった女子チームから、やはり国内初となる女子単独のプロクラブが生まれたことになる。

 もっとも、分離独立の要因はチームの経営難にあった。それが、女子下部リーグの現状でもある。今季も、一昨季までWSLにいたレディング・ウィメンが、資金不足を理由にチャンピオンシップ出場を辞退。結果、本来は12チーム構成のリーグで、11チームによるシーズンが進行している。

 ロンドン・シティも、誕生後はピッチ内外で不安定なシーズンが続いた。しかし一昨年12月、2代目に当たる現オーナーによる買収を機に状況は好転。韓国生まれのアメリカ人女性実業家ミシェル・カンは、この国の女子サッカー界に、マルチ・クラブ・オーナーシップという経営モデルを持ち込むことにもなった。

 母国ではワシントン・スピリット(アメリカ女子1部)、欧州ではオリンピック・リヨン・フェミナン(フランス女子1部)の経営者でもある彼女は、イングランド進出当時の報道によれば、「女子サッカーのクラブ経営もビジネスとして成功し得る」が持論。成功に不可欠なピッチ上の“営業成績”を改善すべく、今夏には昨季を8位で終えたチームへのテコ入れが行われた。

 過去5年間で、暫定役を含めれば8人が采配を振るったチームの監督には、パリ・サンジェルマンからジョセリン・プレシュールを招聘。配下の選手には、欧州の強豪国スウェーデンで代表キャプテンを務める、FWコソバレ・アスラニらが加えられた。しかしながら、代表での2011年W杯優勝、欧州3か国で合わせて9度のトップリーグ優勝、そしてリヨン時代の女子CL5連覇など、熊谷に勝る実績と経験の持ち主は、チームに増えた同じ30代トップクラスの中にもいない。

ロンドン・シティ・ライオネスがホームとする「ヘイズ・レーン」【写真:山中 忍】
ロンドン・シティ・ライオネスがホームとする「ヘイズ・レーン」【写真:山中 忍】

2部で戦うやりがいと難しさ

 それだけに、ロンドン・シティという海外5つ目の移籍先は意外でもあった。しかし、本人は次のように言っている。

「やっぱり、もう次に行くならイングランドだなっていう気持ちはありました。1つ上のリーグからのオファーもいただいたりはしたんですけど、このクラブが1部に上がるために本当に必要としてくれた。それをすごく感じたので。1チームしか上がれない厳しい昇格レースの運命が、まだまだ自分たちの手のなかにあるっていうやりがいを感じたいし、こういうクラブだからこそ、上がったら絶対に人は集まってくると思う。そうしたいろいろなものも含めて、自分の新しいチャレンジとして決断しました」

 さり気なく口にした、「人は集まってくる」という一言にも、移籍を請われたベテランの責任と意欲が感じられた。

 イングランドの女子チームは、親子代々、地元クラブの男子チームをサポートしている人々がファン層の大半を占める。ところがロンドン・シティには、クラブ自体の長い歴史も男子チームも存在しない。となれば、いち早く昇格を成し遂げてWSLの強豪になり上がることが、地元ファン層を築くための唯一の得策だ。

 そのWSL強豪の1つ、アーセナル・ウィメンとの顔合わせは、サンダーランド戦前週の女子FAカップ5回戦(0-2)で、熊谷も経験している。

「ここと戦えるところを見せたい、チームとして目指す場所がここなわけだからという意味で、すごく刺激になりました。負けましたけど、カップ戦で3回やったら1回、もしかしたら何かあるかもしれないっていう戦いはできていたかなという感じです」

 ロンドン・シティが可能性を示したアーセナル戦を挟み、スタメンとして2試合を戦った女子チャンピオンシップという舞台は、「いろんな意味で難しいものがたくさんある」と言う。

「ピッチのコンディションだったり、初めてのホームスタジアムは大丈夫ですけども、初戦のポーツマスとかは、正直、本当にピッチとか悪くて、試合もすごいタフゲーム(1-0辛勝)でしたし、そういう意味では新しい経験だなっていう面はありますけど、これが自分の選んだ道。ヨーロッパでずっと、ほぼチャンピオンズリーグのあるチームで試合数とかもすごく多かったなか、今は週1回の試合になって、トレーニングをする時間を大事にできている。それも、この年齢(34)で来たオファーのなかから選んだ理由の1つではありますし、本当に楽しめてはいます」

 ちなみに、新たに「ホーム」と呼ぶヘイズ・レーンは、今季開幕を前に本コラムで紹介させてもらった、ブロムリーのホームでもあるスタジアムだ。クラブ史上初のフットボールリーグ(現2~4部)入りに伴い、人工芝からハイブリット芝へと張替えられたピッチで、まさか熊谷の姿を眺めることになろうとは。

経験値と戦える姿勢をチームに注入することが「自分の仕事」

 その姿からは、移籍3試合目にして周りの信頼が見て取れた。この日は、スリーバック中央のリベロ役。ボールを支配したチームで、ビルドアップの起点は開始早々から集まるボールのフィードに忙しい。アウトサイドにダイアゴナルパスを届ける度に、背後のGKから「ナイス、サキ!」との声。自軍セットプレー時には相手ボックス内に顔を出す。チームの2点目は、熊谷が奪ったPKによるものだ。守っても、展開を読んでのインターセプトや、距離も出るヘディングを含む的確なクリアで零封勝利に貢献していた。

「チームでの感触は良くて、自分の置かれている状況、求められているタスクは理解しているし、味方も、できると思って(ボールを)出してくれている。ここに来て3週間、まだまだバタバタしている状況ではありますけど、いろんな面で信頼は勝ち取れているかなと思います」

 試合後、クラブ公式サイトのファン投票では、1ゴール1アシストのアスラニを抑えてプレーヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれていた。会場に足を運んだファンの中には、チームカラーの水色に顔をペイントした子供や、フォームフィンガーを手にした大人も。移籍先の観衆に、自分のどんな部分を一番見てもらいたいかと尋ねると、熊谷はこう答えてくれた。

「とにかく自分の経験値と、チームのために戦えるという部分。それをこのチームにもたらすのが自分の仕事だと思っているので。サポーターに認められるっていう言い方が正しいのかは分からないですけど、本当にできるんだっていうところを見せて認められること。そこを含めて、試合での結果とともに示していきたい」

 次に「ライオネス」としての姿を見せるのは、3月2日の女子チャンピオンシップ第15節チャールトン・ウィメン戦。その間の代表ウィーク中には、アメリカで開催されるシー・ビリーブス・カップに一輪の「なでしこ」としてピッチに立つことになる。代表にとっては、昨年12月に発足したニルス・ニールセン体制下での初陣でもある。

「選手としてピッチの上はなんの質問もないというか、やることははっきりしていますけど、新しいチームでの役割だったり、どんな形でチームを作っていくのかというところは、自分がやれること、やるべきことを見つけに行くというか、そのなかで、やっぱり勝つことだけを考えて戦えたらなと思いますね」

 そう言って締め括った熊谷は、帰りの車を待つ間に、「サキのキャリアをずっと追っているっていうファンがいたわよ」と話すスタッフとは英語で、「車で送ろうか?」と気を遣う監督とはフランス語で話をしている。こうした一面も頼もしいワールドクラスは、新たな挑戦の舞台に選んだロンドン・シティにおいて、トップリーグのステータスとファンベースの確保に貢献することができれば、それは現役キャリア終盤にして手にする無形のトロフィーも同然だ。

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山中 忍

やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。

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