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中田英寿がイタリアに与えた衝撃2発「重圧を感じた」 ジダン&デル・ピエロと対峙「忘れられない」
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元日本代表の中田英寿氏、1998年のセリエAデビュー戦を回顧
元日本代表MFで現在は実業家の中田英寿氏が、イタリアメディア「ウンディチ・リビスタ」のインタビューに応じている。1998年にペルージャの一員としてセリエAデビューしたユベントス戦のことを「間違いなく忘れられない記憶」と話した。
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山梨県の韮崎高校から1995年にベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に入団するとルーキーイヤーから頭角を現し、96年のアトランタ五輪に出場。さらに、98年のフランス・ワールドカップ(W杯)には攻撃の中核として日本代表のW杯初出場のピッチに立った。その後、98-99シーズンに合わせ、当時の世界最強リーグと呼ばれていたセリエAのペルージャへと移籍している。
昇格組かつ、辣腕ビジネスマンとしても知られたルチアーノ・ガウチ会長の肝いりでの獲得となり、日本からのスポンサーマネー目当ての獲得という声は絶えなかった。それについて中田氏は「他人の判断をコントロールはできない。できるのは全力を尽くすことだけだった。特定の声を重視するかどうかはその人次第だ。自分の長所を生かして、人々の考えを変えようとした。僕にとってはピッチ上の結果が重要で、ほかのことはそれほどでもなかった。正直なところ、何かのレッテルがプレッシャーになることはなかった」と話す。
そして、開幕のユベントス戦では2ゴールの大活躍を見せた。試合は3-4で敗れたものの、日本のみならずイタリア国内でも大きな話題になるデビュー戦だった。中田氏は、当時についてこう振り返っている。
「日本代表チーム以外では海外でプレーしたことがなかった。当時のセリエAは世界最高のリーグであり、世界で最も才能のあるサッカー選手を魅了し。ジダンとデル・ピエロのユベントスとのデビュー戦は、間違いなく忘れられない記憶になった。スタジアムが日本人観光客やジャーナリストでいっぱいだったことを覚えている。ある種のプレッシャーを感じたことは否定しない」
1994-95シーズンにジェノアでプレーしたFW三浦知良に続く2人目の日本人セリエAプレーヤーになった中田氏だが、「今と違ってヨーロッパの主要リーグにアジア人はいなかった。ただ正直なところ、その先駆者であることに特別な意味や重要性は見出していなかった。常に自分とチームのために全力を尽くすことだけを考えていた」と、当時の心境を話している。
今となっては欧州5大リーグで日本人選手の姿を見つけることは珍しくなくなったが、当時のセリエAで輝きを放つ中田氏の存在は大きな希望として日本サッカーに勇気を与えていた。
(FOOTBALL ZONE編集部)