葛藤の末に移籍決断…開幕戦“恩返し弾”でこらえた涙「お父さん、お母さんのような温かみ」【コラム】

C大阪FW中島元彦、ゴールを決めたJ1開幕戦後に古巣仙台に思いを馳せ感無量
セレッソ大阪の一員として4シーズンぶりにJ1のピッチに立ち、チ-ムの5点目となるゴールも決めた2月14日のJ1リーグ開幕節・ガンバ大阪戦に勝利した直後、FW中島元彦は思わず声を詰まらせた。約3年間にわたって期限付き移籍し、チームの中心を担っていたJ2ベガルタ仙台から葛藤を重ねた末に今オフにC大阪へ復帰した25歳のアタッカーは、何を思って涙腺を緩ませたのか。(取材・文=藤江直人)
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流暢に紡いでいた言葉が、不意に途切れた。潤みかけている目を見られたくなかったからか。視線をそらしながら絞り出した声が、ちょっとだけ震えている。C大阪のFW中島元彦は必死に涙をこらえていた。
敵地パナソニックスタジアム吹田に乗り込んだ14日のJ1リーグ開幕戦で、宿敵G大阪に5-2で圧勝した直後。後半アディショナルタイム4分に中島が決めた5点目に、昨季まで所属したJ2仙台のファン・サポーターもSNS上で喜んでいるとメディアから質問された時だった。
「すごく充実した3年間を過ごせたので、うーん、まあ……お父さん、お母さんのような温かみをもって接してくれましたし、そういう意味では恩返しになったかなと思うので……とても嬉しい気持ちになりました」
古巣C大阪復帰後の初戦で決めた、約4年ぶりとなるJ1リーグ通算3点目。自分の下にボールがこぼれてきた瞬間から、中島は「点差もあったし、自分が決めることしか考えていなかった」と振り返る。
G大阪のセンターバック(CB)福岡将太がスローインの処理を誤ると、後方にいた中島はボールを拾うや、迷わずに前を向いてG大阪ゴールへ猛進。慌ててカバーにきたCB中谷進之介をキックフェイントでかわして中へ切り込み、追走してきた福岡をもかわした直後に左足を思い切り振り抜いた。中島が続ける。
「最初にシュートを打とうと思ったけど、(相手が)思ったよりも食い付いてきたなかで、冷静に決められたのは良かった。点差が違っていればまた変わったプレーになったかもしれないけど、自分のなかではシュートを打つ選択しかなかった。もちろんホッとした部分はあるけど、悔しさのほうがはるかに大きいですね」
人生のターニングポイントと位置づけた試合…そして潰えた夢
ゴールを決めた喜びより、開幕戦で先発できなかった悔しさが上回っていた。なおかつ先発に名を連ねたアカデミーの後輩、20歳のFW北野颯太が先制点を含めた2ゴール1アシストで主役の座を射止める大活躍。後半37分から途中出場した中島は「颯太が活躍したのも悔しかった」と、本音を明かしながらこう続けた。
「若手も、ベテランも、中堅の僕たちも含めて誰か1人というわけではなく、競争のなかで全員にチャンスがあると思って練習ができているし、そこが今シーズンのチームの強みだと思う。そのなかで自分もそうですけど、颯太も含めて、アカデミー出身の選手が『次は自分たちが』と思って引っ張っていかなきゃいけない」
C大阪を引っ張っていく決意と覚悟は、恩返しの思いの裏返しでもある。2022年4月に育成型期限付き移籍で仙台へ加入した中島は、自らの意思で2023シーズンも移籍期間を延長。仙台の歴代レジェンドの象徴だった背番号「7」を託され、さらに昨季は通常の期限付き移籍へ移行したうえで再び残留した。
何がなんでも仙台をJ1へ復帰させる。強い思いとともに臨んだ昨季はJ2で6位に食い込み、J1昇格プレーオフ準決勝では自身の2ゴールなどで3位のV・ファーレン長崎を4-1で撃破。迎えたファジアーノ岡山との決勝を、中島はサッカー人生のターニングポイントとして位置づけていた。
それは、仙台を勝利に導けば完全移籍に移行して、仙台の主軸としてJ1の舞台を戦っていく――しかし岡山に喫した0-2の完敗とともに、その夢は潰えた。そして、決勝から2週間後の昨年12月21日。仙台との契約満了とC大阪への復帰が両チームから発表されたなかで、中島は前者の公式クラブサイト上でこんな思いを綴っている。
「この番号で引退までと、プレーオフ決勝までは考えていましたが、サッカー選手として自分がどこまでいけるのかもう一度チャレンジしようと思います」(原文ママ)
自分を温かく迎え入れた仙台のファン・サポーターは、熱い声援を介して選手として大きく成長させてくれた。小学生年代のアカデミーから育ってきたC大阪にも、言葉では表現できないほど大きな恩がある。想像を絶するほどの葛藤が繰り返された末に決めた古巣への復帰を、中島は開幕戦後にこう語っている。
「自分の選択を失敗にしないように、プレーで結果を残せていけたら。今はそう思っています」
正解へと通じていく第一歩が開幕戦でのゴールであり、仙台のファン・サポーターも喜んでいると知らされた中島の涙腺は図らずも決壊しかけた。同時に仙台時代へ抱く、別の意味での感謝の思いも頭をもたげてきた。
「自分が小さな頃やプロになった時までは、ガンバの声援に対してもっと怖さを感じたんですけど……」
畏怖していたG大阪の大声援「昔よりも怖さを感じなくなってきたのかなと」
スタジアムを揺るがすG大阪のファン・サポーターの大声援に、かつては畏怖していた自分がいた。苦笑しながら過去を振り返った中島は、チケットが前売り段階で完売し、最終的には3万4860人で埋まった敵地で決めたゴールを「とどめを刺せた意味で、とりあえずはよし、かな」と気を取り直して位置づけながらこう続けた。
「でも今日プレーしてみて、昔よりも怖さを感じなくなってきたのかなと思いました。仙台の迫力ある応援をずっと聞いてきたなかで、ちょっと慣れた部分もあるというか、成長した部分なのかな、と」
プレー面だけではない。Jリーグの全クラブのなかで屈指の熱さを誇るファン・サポーターの応援に後押しされながら、メンタル面でも大きく成長させてくれた仙台での3年間に改めて感謝した中島は、C大阪で清武弘嗣、柿谷曜一朗、南野拓実が背負い、出世へとつなげた背番号「13」に笑顔で言及した。
「出世しなきゃいけない背番号なので、そういうプレッシャーを自分にかけられたらいいかなと」
視線の先には、まもなく36歳になるMF香川真司が背負い、いつかは誰かに継承されるC大阪伝統のエースナンバー「8」を北野たちと切磋琢磨しながら争っていく、ごく近い未来が描かれている。これも仙台のファン・サポーターへ誓った、C大阪での「チャレンジ」の一環となる。中島が改めて前を見据えた。
「その意味でもずっとスタメンで出たいし、いい競争をしながら、自分がチームを引っ張っていきたい」
どこまでも真っ直ぐで、周囲を興奮させるスーパーゴールで新たな門出を自ら祝い、それでいてちょっぴり涙もろい。愛すべき素顔を見せた中島は、G大阪戦から一夜明けた15日、舞洲グラウンドにて行われた日本フットボールリーグ(JFL)所属・ティアモ枚方との練習試合に先発出場。首脳陣に先発出場をアピールするゴールを決めている。
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藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。