海外スカウト唸らせた「成長カーブ」 欧州で苦しんだベンチ外…JリーグMVPの大きな「財産」【コラム】
![マインツ所属時の武藤嘉紀【写真:Getty Images】](https://www.football-zone.net/wp-content/uploads/2025/02/15145528/20250215-Yoshinori-Muto-GettyImages.jpg)
J1リーグMVPに輝いた武藤嘉紀、成長を促した海外リーグ時代の「紆余曲折」
2025年、文句なしの活躍でJ1リーグMVPに輝いた武藤嘉紀(ヴィッセル神戸)が授賞式のスピーチで、「僕は一見、華やかな経歴に見えますが、多くの怪我、挫折、紆余曲折を経て、今があると思っています」と語っていたのは記憶に新しい。
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それこそプレミアリーグのニューカッスル時代には「ヨーロッパでは1年間以上、ベンチにも入ることができず」という苦難に見舞われたが、「そういった苦しい経験、逃げ出したくなるような経験が僕を人としても、サッカー選手としても強くしてくれたんだと、今では感じられます」と、これまでのキャリアを振り返っていた。
選手はピッチに出て結果を残してなんぼと言われたりするが、そのピッチで勝負することができずに苦しむ選手も少なくはない。アピールしようにも自分の努力だけではどうしようもないこともある。それでも、どれだけ過酷な環境に身を置いていたとしても、自分を見失わず、どこかに活路を見出し、今できることに矢印を向けて歩を進めてきた。言葉にするのはたやすい。だが実践するのは並大抵の胆力ではできない。
筆者が取材していたのは海外初挑戦となったブンデスリーガのマインツ時代(2015~18年)。そんな武藤の実直さと芯の強さを感じさせられることが度々あった。2015年7月から3シーズン在籍すると、リーグ66試合に出場し、20得点をマーク。それまでエースとして君臨していた岡崎慎司がプレミアリーグのレスターに移籍し、後釜として期待されていた武藤は、すぐに戦力としてチームにアジャスト。チームメイトや監督から高い評価を受けるようになっていただけに、順調な歩みだったかのように思われる。
当時監督だったマルティン・シュミットが「彼の走力やアスレティック能力の高さは日本でプレーしている時から見て取れた。彼のトップスピードと運動量はマインツというクラブにとって非常に重要。それにスポーツディレクター(SD)のクリスティアン・ハイデルが日本に直接飛んで会った時に『人間的にも素晴らしく、マインツに合う』と明言していたんだ。今後のキャリアアップに向けて、良いベースを身に付けつつある。毎日の練習をこの調子で取り組んでいくことが大切だ。ヨシのような選手と仕事をするのは簡単だよ。彼は本当に貪欲なんだ」と、その活躍を喜んでいたことからも窺える。
海外移籍後「一番痛かった」の不運、数年間で身に付けた「点は取れる」の感覚
だが、怪我なくフル稼働できたシーズンがなかったのも事実だ。3シーズン目のラストマッチとなったブレーメン戦後、武藤は次のように振り返っていた。
「まさか1シーズン目、2シーズン目と続けて大きな怪我をするとは思わなかったし、それが不運だったかな。連続で怪我しちゃったこと、治って練習してまた同じところを怪我しちゃったのが一番痛かった。気持ち的にもキツかったですし、異国の地で最初言葉も分からなかったので、そこは厳しかったです。今シーズンは大きな怪我ではなかったですけど少し長引いてしまったのは残念でしたけど、それでも3年間しっかり戦えたというのは自分の財産ですし、これからの指標になるかなと思います」
アスリートは常に怪我の危険性と隣り合わせの生活を送っている。どれだけケアしても思わぬ負傷のリスクをはらむ。だからこそ可能な限り防げる負傷は防ぐことが大切なのだ。当時、武藤がそのあたりについて話してくれたことがある。
「専属トレーナーを付けて全部やっています。本当に少しの調子の悪さだったり、疲れだったりが怪我を呼ぶと思う。避けられない怪我もありますけど、筋肉系だったり、ゆがみというのは取れるものなので。しっかりと自分の身体に投資して、これからもっと上り調子にしていかないといけないなと思います」
体調管理だけではなく、プレー面での取り組みも試合を重ねるごとに丁寧に修正し、どうすればより自分の強みを生かせるのかを研究していたのを思い出す。
「戸惑いはないですけど、日本とは違うフィジカルの強さだったり、寄せの速さがあると思う。正面と正面でぶつかってしまうと、相手に分があると自分も分かっているので、身体の使い方だったり、(ボールを)もらう場所だったりは工夫しないといけないなと思っています」
これはマインツ移籍後最初のテストマッチとなったフランスリーグのサンテティエンヌ戦後のコメント。そして3年後、前述のブレーメン戦後に自身のプレーの変化についてこんなふうに語っていた。
「『自分がプレーする場所が分かった』ことです。点を取れる場所というのはペナルティーエリア内が断トツで多いですし、そこでの駆け引きに勝つことができれば、得点することは難しくない。今まではドリブルだったり、綺麗なシュートを決めたいという気持ちがありました。でも、今は『1点は1点』と。エリア外で簡単にプレーして、そこからエリア内に入っていく、ということを続けることができれば、もっともっと点は取れるんじゃないかと思います」
海外クラブが武藤を獲得した理由「悪いプレーをした試合もあった。しかし…」
成長に貪欲で、常に自分に矢印を向けてファイトしていた武藤。当時マインツのハイデルSDが獲得に動いた決定的な理由について答えていた言葉に、今は素直に頷ける。
「(獲得の理由について)それは彼の成長力だ。最初はエージェントから日本で注目株の選手がいるという話を受けたんだ。毎試合生で見ることはできないが、今日ではデータバンクを調べたり、ビデオ映像を分析したりすることができる。いつも良いプレーをしていたわけではない。悪いプレーをした試合もあった。それは普通だ。しかし彼には目に見えた成長カーブがあったんだ」
これらはすべて海外でプレーするために必要なこと、日本人選手が活躍するためにやるべきことにつながる話ではないだろうか。ヨーロッパで苦難の時があってもそこで潰されず、今こうしてJリーグで活躍しているのは、当時から取り組んでいたことがあったのは間違いない。
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中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。