日本の伝統産業を「失ってはいけない」 中田英寿が危機感、元日本代表スターが立つ「稀有な立場」
![47都道府県を旅する中田英寿氏【写真:産経新聞社】](https://www.football-zone.net/wp-content/uploads/2025/02/14154133/20250214_Nakata-Hidetoshi-Sankei.jpg)
元日本代表の中田英寿氏が明かす自身「第二の人生」
元日本代表MFで現在は実業家の中田英寿氏が、イタリアメディア「ウンディチ・リビスタ」のインタビューに応じている。引退後の“旅人”としての時期や現在の実業家としての姿について「海外で、日本に対する好奇心や疑問に答えられないことがしばしばあった」とその原点を話した。
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1995年、山梨県の韮崎高校からベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に入団するとルーキーイヤーから頭角を現し、96年のアトランタ五輪に出場。さらに、98年のフランスワールドカップ(W杯)には攻撃の中核として日本代表のW杯初出場のピッチに立った。その後、98-99シーズンに合わせ、当時の世界最強リーグと呼ばれていたセリエAのペルージャに移籍。その後も欧州でキャリアを積み重ねた中田氏だが、06年のドイツW杯後に引退を表明した。その後は“旅人”として世界中を飛び回る姿があった。
「3年間で100か国以上を訪れた」と話す中田氏は、そうした活動をしてきた理由を「世界の中で自分の場所を見つける必要があった。情熱と、人生の第二ステージで何を達成できるか理解する必要があった」として、「日本を離れて、自分のルーツ、原点を再発見した。海外で、日本に対する好奇心や疑問に答えられないことがしばしばあった。日本とその文化を再発見する必要があると自分に言い聞かせた。とても若いころに日本を離れたことで、多くのことを見落としていた」と振り返った。
現在は日本酒や日本茶のビジネスを立ち上げ、世界に展開している。「47都道府県を旅し、日本酒を造る農家や職人たちと関わりながら日常生活に溶け込むことにした。7年間の旅の後、この古くからの伝統に惚れ込み、市場の動向を常に注視しながら、彼らと一緒に仕事を始めることにした。サッカーのおかげで、僕は日本産のものを世界に広める稀有な立場にいると思っている。私のビジネスプロジェクトの根底には、伝統を守り、農家や職人の仕事を向上させたいという思いがあることを強調したい」と、日本酒の思いを話している。
また、日本茶については「この50年間で生産者の数が激減したため、生産者を支援するためにブランドを立ち上げた。アルコール消費者の減少に伴い、美味しい食事に合う飲み物に焦点を当てることにした。水以外に、お茶も理想的な解決策だ。ここでも地域の生産者と協力することを選んだ」と話す。
そして「私は農業の将来をとても心配している。世界の人口は増加の一途をたどっているし、気候変動は現実的な問題だ。特に日本では世代交代が必要な地域もあり、農家のほとんどは65歳以上だ。これからの数年間で、新しい世代にインスピレーションを与えられるような仕事をしたい。日本酒や茶の栽培は私たちの伝統の一部であり、失ってはならないものだ」と、日本の農業と伝統産業への思いを言葉にしていた。