早稲田大中退→中南米行き、日本人女子選手が“常識外”に衝撃 アジア人揶揄も…「よくこんな汚い言葉を」【インタビュー】

コスタリカ1部エレディアでプレーした桝田花蓮【写真:本人提供】
コスタリカ1部エレディアでプレーした桝田花蓮【写真:本人提供】

早稲田大4年時にコスタリカ行きを決断した桝田花蓮「熱量もヤジも凄かった」

 現在オランダのデンハーグで仕事をしながら、選手兼指導者として奮闘している25歳の桝田花蓮。早稲田大学ア式蹴球部女子部で活躍していたなか、大学を中退してコスタリカ1部のクラブでプレーした経験を持つ。指導者の夢を持ちながら、なぜコスタリカ行きを決断したのか。その背景とともに、現地で得た学びを聞いた。(取材・文=中野吉之伴/全3回の2回目)

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 早稲田大学女子サッカー部在籍中の4年生時にコスタリカへ一度飛び、同国でのプレーを決断。その後、大学を中退し、同国1部プロリーグのエレディアというクラブでプレーしたなか、決断に至った経緯を明かす。

「大学4年の夏休みに1回行ってそこで決めて、後期のタイミングでコスタリカに行きました。もともと将来は指導者になりたいっていうのが一番にあったんです。UEFAライセンスに興味があったので、指導者としてヨーロッパに行くっていうのはもう決めていました。それで、のちにヨーロッパに行くんだったら、その前に選手としては全然違うようなところを経験してみたいなって思ったんです」

 当初ブラジルやアルゼンチンといった南米方面で探していたところ、紹介してもらった代理人から「コスタリカはどう?」という話が舞い込んだという。以前Jリーグでもプレーしていたブラジル人が、その後コスタリカで現地の人と結婚し、その人から女子チームを紹介された。

「コスタリカの女子リーグは、その時にもうプロ化されていて、そこで数チームを紹介してもらって、契約先が見つかりました。リーグは8チーム構成でそんなに多くない。クラブは男子チームも持っているので、そのスタジアムで女子も試合をしていましたね。練習場もちゃんとした人工芝で悪くないクオリティーでした。お客さんは少ないです。熱量もヤジも凄かったから、少なさを感じないぐらい盛り上がりはありました」

 変なヤジを飛ばされることもあったという。

「それはありましたね。アジア人を揶揄することを言われたり。あと結構スペイン語で汚いことを言ってました。よくこんな汚い言葉を言えるなってびっくりするくらい。試合中にチームメイトが相手と喧嘩になって掴み合いになっていたというのもあったし。海外だなってすごい感じました。私も競り合いを巡って、めっちゃワーッて言われたり、小突かれたりすることもありました。でもそういう環境にいると、自分自身も最初はびっくりするだけだったけど、仕返しはしなくとも、なんかもう『フン!』じゃないけど、ぜんぜん怯まなくなりましたね」

コスタリカで貴重な経験を積んだ桝田花蓮。選手兼指導者としてオランダで過ごす現在も当時の経験が生きている【写真:本人提供】
コスタリカで貴重な経験を積んだ桝田花蓮。選手兼指導者としてオランダで過ごす現在も当時の経験が生きている【写真:本人提供】

コスタリカ1部で選手契約「お金をもらっていたけど…家賃分ぐらい」

 とはいえ、日本とはまるで違う感覚。それが現地では当たり前とされ、これまでの常識が通用しない環境だ。そこに順応するのは決して簡単ではないはずだが、桝田は比較的スムーズに受け入れることができたと振り返る。

「ある意味、そんなカルチャーショックを期待して行ったみたいなのはあったので、ある程度予想していたところはあったかも。そういうのを経験したくてまったく違う国に行ったわけですから。もちろん自分が同じようなことができるとか、やりたいとか、そういうふうにはならないですけど。拒絶反応を出たり、ショックに思うほどではなかったです」

 コスタリカではプロリーグとはいえ、みんながプロ契約を結んでいるわけではないし、契約を結んでいる選手にしても、それだけで十分生きていけるだけの収入があるわけでもない。

「私は一応契約選手でお金をもらっていたけど、金額で言ったら全然少ない。家賃分ぐらいですかね。私が行ったクラブはコスタリカの伝統的なところで、毎回リーグでトップ3に入るクラブなんですけど、財政的にちょっと問題が出ていたようで、私が辞めたあとに、当時一緒にやっていた主力選手のほとんどが抜けて違うチームに移籍したと聞きました。プロ化はされているけど、まだそんなに輝かしいものではなくて、発展途上という印象を受けました」

 親元を離れ、異国で1人の外国人として過ごす。気を張っている時や上手くいっている時はいい。それでも、常にスイッチを入れながら生活をしていると、自分で思っている以上にエネルギーを消費し、ある日ふいに疲労がどっとあふれてくることがある。桝田は「私にもそんな日々があった」と明かす。

「今、オランダで暮らしていて、海外生活を一度経験したあとで仕事もあるし、家もある。日本人の友人もいるし、会おうと思ったらすぐ会える。でもコスタリカでは日本人に会うことがなかったですから。海外に1人でいるっていう感覚がすごく強かったのを覚えています。『すごい寂しい』とか『もう嫌だ』という感覚はなかったけど、今こうやって自分の生活が整って、繋がりやコミュニティもあるっていうのを思うと、あの時の自分は周囲の環境作りが脆弱だったし、人としての成熟度や考え方も、まだまだ本当に未熟だったなって思います。孤独だから『1人でやらなきゃ』という意識が強すぎたのかもしれないし、誰かに何かをしてもらうのを待っているのが当たり前でしたから。振り返ると、『あの時はそこでまだ苦労してたんだなぁ』って思いますね」

あの時期があったからこそ…「今辛くても大丈夫だよ。乗り越えられるよって」

 メンタル的にひどく落ち込んだ時期もあったという桝田。何も考えることができず、ただ練習に行くだけの日々が続いていく。どうにか打破したくても、どう打破していいのかが分からない。そうした自問自答を繰り返し、試行錯誤の必要性を感じながら、具体的に動き出すために何が必要かを見つけ出せない。

 苦しい時間かもしれない。だが、コンフォートゾーンを飛び出し、上手くいかない自分と向き合う環境に身を置くことで得られる経験値は果てしなく大きい。

「そう思います。そういう時期があったからこそ、今オランダにいながら自分で考えて、いろいろできている。だからあの時の自分に、『何やってるの。もっとオープンになれ!』っていうのは、ちょっと厳しいかなって(笑)。『今辛くても大丈夫だよ。乗り越えられるよ。そしてこの経験が生きる時期がくるんだよ』って言うほうがピンとくるかも」

 機が熟すまで、人間としての成熟さが進むまでには、そうした時間が必要なのだ。そしてじっくりと覚醒していくからこそ、豊かな人間性として定着していく。他人にも優しくできる本当の意味での強さというのを、私たちはそうして身に付けていくのだろう。

※第3回へ続く

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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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