天才が味わった挫折…J2移籍で叱責「一人でプレーしているんじゃない」 恩師が語る柿谷曜一朗

美濃部直彦監督の元で飛躍を遂げた柿谷曜一朗【写真:Getty Images】
美濃部直彦監督の元で飛躍を遂げた柿谷曜一朗【写真:Getty Images】

柿谷曜一朗が現役引退を発表、恩師・美濃部直彦氏が徳島時代を回顧した

 2024シーズンまで徳島ヴォルティスに所属していた元日本代表FW柿谷曜一朗が、1月18日にクラブを通して現役を引退することを発表した。柿谷といえば幼少期から「天才」と称され、2006年のAFC U-17アジア選手権(現アジアカップ)では日本の優勝に貢献し、大会MVPにも輝いた。翌年のU-17ワールドカップ(W杯)でも活躍を見せ、フランス戦で決めたハーフウェーライン付近からのゴールは、2008年に行われた南アフリカW杯予選の組み合わせ抽選会の際も、繰り返し流されていた。

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 世界も認める特別な才能の誕生は、多くの日本サッカーファンに夢を見させた。だが、セレッソ大阪のトップチームに昇格してからは、思うように活躍はできず。同じ頃、C大阪に加入したMF香川真司の台頭に押される形で、出場機会を失っていった。

 そんな柿谷のキャリアで大きな転機となったのは、2009年の徳島移籍だった。ここで当時、指揮を執っていたのが美濃部直彦氏だ。美濃部氏は2021年から飛鳥FCを率いており、クラブは2024シーズンに関西サッカーリーグで初優勝を飾ると、11月に行われた全国地域サッカーチャンピオンズリーグでも初優勝を果たし、JFL昇格を決めた。今も現役の監督として活躍する美濃部氏に、柿谷とのエピソードを振り返ってもらった。

 抜群のセンスを持っていた柿谷だったが、当時は独りよがりな印象のある選手だった。美濃部監督が着手したのは、意識改革だった。時に厳しく、「一人でプレーしているんじゃない」と声をかけ、チームプレーを意識させた。ポジションも守備をサボれないサイドハーフを任せ、ハードワークする重要性を伝えた。

「もともと彼がセレッソ大阪から来て、一番変わったのがチームのために自分のプレーをするようになったことです。具体的に言うと、ディフェンスを頑張るようになった。また、チームにも良い声を出してプラスに働きかけるようにもなっていきました」と、美濃部監督は振り返る。

 現在のサッカーでは、アスリート能力が求められるようになっている。この徳島時代の経験がなければ、柿谷のキャリアはもっと早く終わっていただろう。

 徳島で2シーズン半を過ごした柿谷は、2年半で97試合14得点という数字を残して、2012シーズンにC大阪へ復帰した。C大阪に戻った柿谷は、チームのために戦える選手となり、レギュラーに定着。ポジションもFWに戻り、持ち前の攻撃センスをいかんなく発揮できるようになり、2013シーズンにはキャリアハイとなる34試合出場21得点を記録した。翌年にはブラジルで開催されたW杯にも出場を果たしている。

 その活躍を美濃部氏は「現代サッカーは強度が高く、攻守の切り替えが早い。カウンターで点を取ることが要求される時代ですが、彼のような才能を持っているのは、当然プラスです。才能だけではダメですが、そういう選手がチームのために切り替えをしたり、守備をしたり、ハードワークもできれば、自然とチームの柱になれます」と、楽しみに見ていたと振り返った。

「(柿谷とは)10年近く会ってないなぁ」という美濃部氏だが、徳島の監督を退任した後、Jリーグの解説をしていた時の取材も行い、AC長野パルセイロの指揮を執っていた当時には、柿谷が長野にイベントで来た際に会う機会があったという。

 今後、柿谷がどのような道を歩むかは不明だ。これだけの経験をした選手も少ないだけに、今後もサッカー界にその経験を還元してほしいところ。だが、美濃部氏は「長いこと会っていないから、人間的にどうなっているかとか、まったく分からない。少なくとも僕が指導していた22、23歳の頃は、サッカーの指導者になるような感じではなかったと思います。そんなに弁が立つほうでもなかったけれど『芸能の方にいくのかな』とか、いろいろ想像できますし、何をやってくれるか楽しみですね」と、ピッチ内で奇想天外なアイディアを体現していた「ジーニアス」の今後を楽しみにしていると目を細めた。

(河合 拓 / Taku Kawai)



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