J3を4年でクビ「苦しかった」 新天地で爆発→半年でJ1移籍の“シンデレラストーリー”「号泣した」【インタビュー】
福田翔生が今治4年目で迎えたまさかの契約満了
J1湘南ベルマーレでプレーするFW福田翔生は2020年、当時J3に昇格したFC今治で出番が増えるも、監督が変わり4年目に契約満了となった。そこからJ3のチームで再出発をすると才能が開花したが、何かきっかけがあったのか、クビになった当時の思いと新天地での手応えを明かした。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小西優介/全3回の2回目)
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プロ2年目の2020年シーズンにスペイン人のリュイス・プラナグマ監督の元、リーグ戦18試合に出場し、成長を実感した福田。しかし、翌21シーズンの5月にリュイス監督が解任されると状況は一変した。
出場機会が激減し、この年はリーグ戦で途中出場のみの3試合に終わった。翌年も状況は変わらず、リーグ戦は12試合出場もスタメンだったのはたったの3試合。そしてこのシーズン終了後にクラブからは契約満了を言い渡された。
「薄々契約満了になるだろうなと感じてはいたんですけど、いざ満了って知らされると、ショックは相当あって、苦しかった。その時は結果を出して自分の価値を示そうって気持ちが一番強かった」と当時の心境を振り返った。
「半端ない苦しさと辛さだったので、それでもやるしかないと思っていた。試合に出られない時は家族が支えてくれたし、会うたび苦しむたびに色んな人が救ってくれた。チームメイトもフロントスタッフも、数えきれない人が支えてくれたし、そのおかげで立ち上がれた」と苦しい状況の福田を支える存在がいたことを明かした。
さらに兄である湧矢の影響は相当大きかった。「(影響は)めちゃくちゃありましたね。兄ちゃんの試合を見るのが楽しみでしたし、俺も早くここの舞台でやりたいと思っていた。兄ちゃんの存在はもの凄くでかい」
湘南への移籍は「申し訳なさがあった」
兄や家族、周りの人に支えられた福田は今治と契約満了後、同じJ3のY.S.C.C.横浜へと加入した。新天地となるクラブを探していたところ、YS横浜から連絡があったと代理人から伝えられた。
「できればJのチームでというところで、YSが自分を救ってくれたし、すぐに行くことに決めた。オファーはYSしかなかったですね。当時クビになった時は苦しかったし辛かったしって思ったけど、翌年になってとにかく結果を出そうと思った。ここから、どん底から成り上がるのも悪くないなと思ったので、その思いでシーズンに入った」
新たな環境でシーズンに臨んだ福田はここで開花する。2試合目で初ゴールを決め、その後5試合ノーゴールが続いたが、そこから6試合で9ゴールと爆発。リーグ戦21試合11ゴールと圧倒的な数字を残した。
「プレースタイルがめちゃくちゃ変わった。それまでは結構サイドでドリブルをするタイプで、綺麗めなプレーが多かった。FWになってから1点決めたことで、『1ゴールでこれだけ価値が上がっていくんだ』とわかって、そこで監督とか(松井)大輔さんに色々教えてもらって、とにかく相手の嫌なことをやろうと。泥臭さだったり、走って戦うだったり、とにかくゴールを意識したプレーをするようになりましたね」と、数字が残せた要因を明かしている。
そして新天地でのリーグ開幕からわずか半年、J1の湘南に引き抜かれる形となった。「YSのことが好きだったので、オファーが来た時は最初、シーズン中だったこともあり、申し訳なさがあったので考えたし、いろんな気持ちが混ざって号泣してしまった」と語った。それでも「そこ(J1)を目指してやってきたので。他のJ2からオファーはあったけど、いろんな覚悟を持っていたので、やる自信はあった」と最終的に湘南移籍を決断した。(第3回へ続く)
[プロフィール]
福田翔生(ふくだ・しょう)/2001年3月23日生まれ、福岡県出身。プロを何人も輩出している名門・東福岡高校に進学。19年に当時JFLのFC今治に加入。4年在籍し契約満了後にJ3のY.S.C.C.横浜でリーグ戦21試合11ゴールと爆発。加入半年でJ1湘南へ引き抜かれ、所属2年目の昨季はリーグ戦10ゴール4アシストを記録。
(FOOTBALL ZONE編集部・小西優介 / Yusuke Konishi)