古巣で就任のポスト「すごく向いている」 J名門クラブ“真の復活”へ…取り組む橋渡し【インタビュー】
トップチームマネジメント部リエゾン・山西尊裕
ジュビロ磐田の黄金時代を知るDFが2024年、古巣に戻ってきた。トップチームマネジメント部の“リエゾン”に就任した山西尊裕氏である。聞きなれない役職名だが、本人は1年を通してその仕事に適性とやりがいを感じてきたという。ポストに就いた経緯から今後のビジョンまで話を訊いた。(取材・文=高橋のぶこ)
【PR】ABEMA de DAZN、日本代表選手の注目試合を毎節2試合無料生中継!
◇ ◇ ◇
――山西さんは、2024年2月からジュビロ磐田トップチームマネジメント部のリエゾン(フランス語で「仲介」や「橋渡し」の意)のポストに就いています。聞き慣れない役職名ですが、仕事の内容や役割、1シーズンを終えて感じていることなどをお伺いしていきたいと思います。
まず、昨季のジュビロの成績について、応援してくださった方に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。1年でJ2に降格してしまい、これからチーム、クラブとしてしっかりと力をつけていかないといけないと強く思っています。
そのために、リエゾンはとても重要な役割を担っていますし、これから需要や必要性が増すのではないかと感じています。何をしているかは見えにくいし分かりづらいけれど、それでいいんです。全く目立たないけれど、何かと何かをつなぐことで物事をより良いものにするのが仕事であり、なぜかは分からないけどこの人がいたら物事がうまくいくという役割だと考えています。
――リエゾンに就いた経緯を教えてください。
昨年まで私は大学のサッカー部の指導者で、最後の2年間は常葉大学浜松キャンパスで監督をしていました。普通の監督像とは少し違って総監督のような、ときにはマネージャーのような、そういう立ち位置を取っていたんです。選手と指導者、選手と大学をつなぐことに重点を置いていました。そうすることで、両者にとってメリットが生まれて強化だけではないさまざまなことをよりうまく運べました。つながってはいてもそこに血が通っていなければ、何も生まれないんだと実感しました。
間にうまく挟まって血を通わせていく役割は、時代が変わっていくなかでこれからより重要になるだろうと思っていました。その話を藤田(俊哉)スポーツダイレクターに話す機会があり、リエゾンのポスト名をいただいて、選手としてお世話になったクラブで強化スタッフとして仕事をすることになりました。
リエゾンの仕事は「すごく自分に向いている」
――血を通わせるというのは、例えばどんなことなのでしょうか。
例を1つ挙げると、来季トップに上がるU-18の選手が夏に練習参加したときに、その選手の担当になり、課題や強みについて話をしたり、トレーニングの振り返りをしたり、不安を払拭して自信がつくような声がけをしたり。U-18の選手の昼食はお弁当なんですが、それをキャンセルしてトップの選手と一緒に食事をさせて、プロ選手が食事においてどういうことに気をつけているかを直接学ぶ機会を作ることもしました。
その選手は、練習参加の期間でプレーもメンタルも目に見えて向上しました。ただ参加してもらうだけではなく、お互いリスペクトをもって接することで、プレーもより良くなったと言い切れます。彼の調子が良くなってU-18でさらに活躍すれば、来季トップチームでいいスタートが切れます。血を通わせることのメリットは、そういうことです。地道な仕事ですし、成果が出るのに時間がかかるし見えづらい。でも、すごく自分に向いていると思います。
――山西さんの性格に合っているんですね。
いやもう、生まれたときからリエゾンだったんじゃないかと(笑)。地味なことをコツコツとやることは得意なので。それに、選手時代から「なんだかんだ山西」と言われていましたからね。たいした選手ではなかったですが、なんだかんだ試合に出ているねとか、タイトルが懸かるときにいるよね、といった感じで。
この人がいてくれて良かったね、という存在でありたいです。そもそもあまり表に出たくない。というか、表に出ても輝かない(笑)。輝く人は必要ですよ。でも、そういう人ばかりではうまくいかないこともあります。水面下で大事な仕事をする忍者のような人も必要ではないかなと思います。
――ジュビロ愛も強いのではないですか?
そうですね。サポーターの方のような熱狂的な愛とは少し違いますけど。ジュビロは自分にとって、サッカー選手としての原点です。だから、恩を返す義務がある。返さなければいけないと思っています。ジュビロをもっと素晴らしいクラブにしたいという思いが強いですね。
強さを作り上げる以外のやり残したこと
――ジュビロのリエゾンとしての武器は?
今年48歳なんですけど、実は静岡県から出たことがありません。静岡で育ってプロ選手を経てサッカー界でいろいろな仕事と経験をしたことで、さまざまなつながりができていることは強みの1つだと思います。1種から2、3、4種まですべてのカテゴリーと関わりがあるので、それらとジュビロの関係性にもっと血を通わせたいし、クラブとたくさんのものをつなげていきたい。
ここ数年で、今までは全く関係がないとされていた分野とのつながりが出来ています。時代が変わって、それぞれの業界だけでは発展できないという背景があると私は思います。異業種コラボという言葉があるけれど、サッカー界も違う業界とつながることで得られるものがこれからはさらに多くなっていくでしょう。サッカー界、スポーツ界に限定せず、その壁をとっぱらって関係性を広げていく、そういうことを加速させていくのもリエゾンの仕事だと考えています。
――リエゾンとして今後への思い、展望を聞かせてください。
ジュビロは「世界の一流を目指す」ことをクラブ理念の1つとして掲げています。私が現役だったときは、そこに触れかけていたのではないかと。その経験をさせてもらえた私には、またそこにクラブを近づけないといけないという使命があります。
もう1つ意識しているのは、サッカーをやっている子供たちの憧れであることも含めて、地域のシンボルにふさわしいクラブであり続けるということです。そのために重要なのは、もちろん強いことです。強さは理念の実現のために最も重要な要素ですけど、それだけでいいのか、ということが問われていると感じています。地域、サポーターとのつながり、ジュビロを応援し協力してくれるさまざまな分野の方々とのつながりをもっともっと大切にすることが、とても重要だと思います。
――まさにリエゾンの役目ですね。
そう考えています。選手のときから、そういうことが必要だと意識して行動してきたつもりですが、今は目指す姿から少し遠ざかってしまっているように感じます。自戒も込めて言うと、強さを作り上げる以外にやり残したことがあるのではないかと。強くなってJ1に戻らなければいけないけれど、戻れば解決ではない。
目指すクラブになるためには、強いだけでは足りないという思いが、今の自分の原動力になっています。1人ではできないけれど、私のこれまでの経験や力や思いを出し惜しみしないで、持てるすべてをジュビロに還元していくつもりです。時間がかかることかもしれませんが、やり残したことに挑戦していきたいと思っています。
――やりがいがありますね。
やりがいしかないですね。楽しいし、楽しみです。ジュビロで素晴らしい経験をたくさんさせてもらったものを全部返すつもりで、持てるすべてを出して本気で取り組んでいきます。
――最後に改めてリエゾンとしての抱負を聞かせてください。
ジュビロのリエゾンというポストに最初に就かせてもらった責任を背負って取り組んでいきます。サッカークラブにリエゾンという機能があることはとても良いことですし、これからの時代に必要です。自分が、ということではなく、この機能の大切さを認識してもらいクラブに残すためにも頑張っていきたいと思っています。
[プロフィール]
山西尊裕(やまにし・たかひろ)/1976年4月2日生まれ、静岡県出身。清水東高校を卒業後の1995年、ジュビロ磐田に入団。DFとして2004年までプレーし、その間に3回のJ1リーグ年間優勝や天皇杯制覇など数々のタイトル獲得に貢献した。05年から08年までは清水エスパルスに在籍し、翌年1月に現役引退を発表している。引退後は指導者の道へ。磐田U-18コーチから始まり、U-15コーチ、ジュビロSS浜松監督を経て、13年から23年まで常葉大学浜松キャンパスサッカー部でコーチと監督を務めた。
(高橋のぶこ / Nobuko Takahashi)