エース交代3分後…緊急事態に「PK戦でなければとても勝てない」 明かされた強さの秘訣

選手権2度目の優勝を果たした前橋育英【写真:徳原隆元】
選手権2度目の優勝を果たした前橋育英【写真:徳原隆元】

高校日本一の前橋育英、なぜこれだけ多くの持久戦を勝ち抜けたのか?

 第103回全国高校サッカー選手権は1月13日、東京・国立競技場に5万8347人の大観衆を集めて前橋育英(群馬)と流通経大柏(千葉)の関東勢による決勝が行われ、前橋育英が1-1からのPK戦を制し、7大会ぶり2度目の優勝を遂げた。

 両校は第96回大会決勝でも顔を合わせ、後半追加タイムに得点した前橋育英が1-0で勝利し初の頂点に立っている。

 前半12分、準決勝に続いて先手を取られたが、同31分に柴野快仁の今大会初ゴールで同点。1-1のまま試合は動かず、20分の延長を戦っても決着がつかなかった。決勝としては第99回大会以来のPK戦に突入すると、前橋育英のGK藤原優希が相手のシュートを2本ストップ。10人ずつ蹴り合った消耗戦を9-8で制した。

 就任43年目の老練、山田耕介監督は「PK戦でなければとても勝てない感じだった」と本音ともジョークとも受け取れる言葉で激闘をしみじみ語った。今年の前橋育英は苦しんで苦しみ抜いて成長し、大輪の花を咲かせたチームと言える。

 昨夏のインターハイ予選は準決勝で共愛学園にPK戦負け。主将の石井陽は「全国大会出場が当たり前でないことを痛感した。プレミアリーグで戦っている昌平がインターハイで優勝したのは悔しかったし、あの頃はモチベーションを保つのが難しかった」と半年前を振り返る。

 そこから立ち上がり、強くなった理由について山田監督が「夏場に選手同士がどうやって進んでいくのかを話し合い、再開したプレミアリーグでいい方向に向かっていった」と言えば、石井は「厳しく言い合い、褒め合い、切磋琢磨した。あの敗戦からチームが変わりました」と説明する。

 今大会は予選から苦戦続きだった。3失点した前橋商との初戦は延長にもつれ込む辛勝で、決勝の共愛学園戦にしても無得点で迎えた延長に入ってようやくゴールを奪った。

 4年連続27度目の晴れ舞台は、1回戦こそ米子北(鳥取)に2-0で快勝したが、愛工大名電(愛知)との2回戦は後半追加タイムに追い付かれ、PK戦を制する綱渡りの勝利。3回戦は2-0から同点にされ、終了間近に決勝点を奪った。準々決勝は1点差で逃げ切り、準決勝は逆転勝ち。青息吐息のような状態で決勝に駆け上がってきたのだ。

 しかし指揮官は、たくましくなっていく選手の姿をしっかり観察していた。「だんだんとメンタリティーが強くなり、チームが一枚岩になりましたね。接戦ばかりの試合をこなすことで、どんどん進化していった。高校生の伸びしろについて勉強になった大会です」と選手とチームの成長過程を解説し、「力は(流経のほうが)上でも、本当に粘り強く戦ってくれた」とイレブンを褒めた。

 決勝戦では後半39分に体力面を考慮してオノノジュ慶吏が退き、この3分後には不測の事態が発生し、佐藤耕太が故障で交代。看板2トップがピッチを去っても、何とかやり繰りしてPK戦まで辛抱したのだ。

 先発の陣容は2年生がほぼ半数を占め、交代出場の顔触れは2年生が大半だ。県予選も本大会も競り合いばかりだったが、そんなチーム構成にもかかわらず、なぜこれだけ多くの持久戦を勝ち抜けたのか。

 チーム最多の4点をマークし、今季関東大学リーグ1部に復帰した慶大へ進学するオノノジュの見立てはこうだ。

「山田監督から“リバウンド・メンタリティー”ということを口酸っぱく言われてきました。負けている状況でどれだけやれるか、そういったメンタリティーが強ければ結果は出るということを指導された。学年も年齢も関係なく、徹底して教え込まれ、そんな意識が身に付いたから勝負強くなったんだと思います」

 インターハイ予選の負けがエポックとなった。これをきっかけに鍛え抜かれた精神力と技術力、組織力が融合し“上州のタイガー軍団”が、高校日本一へと栄達したのだった。

(河野 正 / Tadashi Kawano)



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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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