監督からのキッカー指名「断りました」 耳打ちで「もう終わらせてくれ」…PK戦の舞台裏

前橋育英の藤原優希【写真:徳原隆元】
前橋育英の藤原優希【写真:徳原隆元】

優勝の立役者となった前橋育英の藤原「止めてヒーローになりたかった」

 ゴールマウスに立つ姿は、182センチの身長よりもずっと大きく見えた。第103回全国高校サッカー選手権の決勝が1月13日に東京・国立競技場で行われ、前橋育英(群馬)のGK藤原優希が、10人ずつ蹴り合ったPK戦で流通経大柏(千葉)のシュートを2本止め、チームに7大会ぶり2度目の優勝をもたらした。

 90分を終えて1-1のまま延長戦に入ったが、ここでも決着がつかずPK戦へ突入。先行の流通経大柏の選手たちは、ゴールの端っこに次々と勢いのあるボールを蹴り込んできた。

 相手のシュートは、先頭を除くと2番手から6人続けて右隅を襲った。藤原は7人のうち6人のコースを読んだものの、針の穴を通すほどシュートは正確無比な上、鋭い弾道だった。「すべてコースが良かった」と守護神は相手を褒めたが、いずれは止める自信を胸に秘めていたのだ。まずは8人目だった。

 左隅を狙った一撃に反応し横っ跳びして阻止する。「指でかき出す感じでした。PKの情報は柚木くんしかなかったので(コースは)すべて自分で判断しました」と声を弾ませた。東海大相模(神奈川)との準決勝で柚木のPKだけは見ていた。

 ところが前橋育英も成功すれば優勝という8人目が失敗。準決勝で難しいダイレクトシュートを決めた白井誠也の一打は、あろうことかバーの上を越えていった。藤原は頭を抱える白井に「気にするな。俺がもう1本止めるから任せろ」とうなだれる後輩を慰めた。

 9人目はともに成功し運命の10人目に回ってくる。「コースが少し甘かったけど、右だなって読み切れたんです」と藤原は胸を張った。

 このあとが面白い。前半31分に同点のヘディングシュートをたたき込んだ最終キッカー、柴野快仁が裏話を披露する。「藤原が僕の所にやって来ましてね、もうこれで終わらせてくれって耳打ちしてきたんですよ」と笑った。柴野の正確なショットはGKの逆を突き、ゴール右に突き刺さって持久戦に決着がついた。

 前橋育英は愛工大名電(愛知)との2回戦でもPK戦にもつれ込み、藤原が1本止めて6-5で勝った。失敗した主将の石井陽はアームバンドを藤原の腕に巻き、「PK戦はお前がキャプテンだ」というエールを送っていた。

 決勝で石井は7番目に登場して成功。「今日も止めてくれって思いでキャプテンマークを渡しました。期待通りに頼れる男です」と守護神に感謝した。オノノジュ慶吏も「チームの信頼が大きく、止めてくれるものと全員が信じていた」と言った。

 柴野が外すと藤原にも回ってくるところだった。キッカーの順番を決めるのは山田耕介監督で、実は藤原を4番手に指名していたのだ。「断りました。止めることに専念したいので、11人目にしてもらったんです」と苦笑したが、「中学生の時のPK戦では、11人目に蹴って成功しているんですよ」とも付け加えた。

 その指揮官はPK戦の最中は目をつむったまま、戦況を見ようとしなかった。理由を尋ねたら「神様に(勝てるよう)お願いしていました」と笑わせた。

 9-8でのPK戦が決着した瞬間、藤原はチームメートにもみくちゃにされた。決勝としては大会史上最多の5万8347人の大観衆が見守ったPK戦こそ、GKの腕の見せどころだった。

 キッカーの顔をじっと見つめ、両手を広げて相手にプレッシャーを掛けるのが、PK戦での藤原の決まり事だ。「チームの代表としてやらねばならなかった。PK戦は自分が主役だし、キーパーの見せ場ですからね。止めてヒーローになりたかった」と願った守護神が、一躍“タイガー軍団”の英雄となった。

(河野 正 / Tadashi Kawano)



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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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