岩政監督が指摘…北海道は「関東とか他の地域とは違う」 情報統制の流れに逆らう理由【インタビュー】
「北海道のみなさんが集う場所」岩政監督が練習フルオープンに賛同する理由
北海道コンサドーレ札幌は、岩政大樹監督率いる新体制でスタートした。2025年はもちろん1年でのJ1復帰が最重要テーマとなるが、3月9日のホーム初戦・ジェフユナイテッド千葉戦までは長いキャンプが続くことになる。遠隔地のクラブゆえにやむを得ないことだが、「早く新チームのトレーニングを間近で見たい」と願っている地元サポーターも少なくないだろう。(取材・文=元川悦子/全8回の7回目)
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「クラブのスタッフから『どうしますか』と聞かれたんですけど、僕は公開しない理由が見つからなかったので、『今までのままで行きましょう』と答えました」
岩政監督は基本的にオープンを約束した。
「関東や関西のクラブだったら、偵察の人が来て動画を撮られたりするリスクがあるのかもしれないけど、海に囲まれている北海道までわざわざ来ることはないでしょう。もちろんサポーターに一部、SNSの規制をお願いするかもしれませんけど、コンサドーレの練習場が北海道のみなさんが集う場所としてつねにオープンしているのはすごくいい文化だと僕は思うんです。
隣には『白い恋人』のミュージアムもありますし、それとセットで観光客に足を運んでもらえたら、すごく盛り上がる。そうやってクラブの存在価値を高めていくことは重要だと思います。
サッカーをより深く理解するという観点でも、今週のトレーニングを見たうえで週末の試合を観戦すれば『ああいう練習をしたから、今回の試合はこうなったんだ』と腑に落ちる部分も増えてくる。サッカーIQも高まりますし、面白さも増していくでしょう。
地元の少年サッカーの指導者の方がフラッと訪れて『こういう練習を取り入れてみよう』という気づきにつながってくれたら、僕としては嬉しいですね。いろんな意味で練習公開はメリットが多いと感じています」
世界でも減った公開練習
昨今は世界的に見ても練習を公開するクラブがどんどん減っている。ドイツなどでも熱心なファンがビールとソーセージ片手に選手の様子を眺めたり、声をかけたり、一緒に写真に収まったりするのが一般的な光景だった。宮の沢の白い恋人サッカー場もバイエルン・ミュンヘンの練習場を模して作られたもの。2000年代まではそれが普通だった。
しかしながら、2010年代から世界各国で情報意識が敏感になり、コロナ以降はそれが一気に進んだ。結果的に練習のクローズが日常化した。ファンサービスに最も熱心と言われたシャルケでも公開日が激減したという。
筆者が2年前にシュツットガルトを訪れた際も練習場の入口にカギがかかっていて、フラッと入ることができなくなっていた。「どこで誰が見ているか分からないし、SNSに情報を上げられて拡散されたら困る」という意識がそういった対応になっているのだろう。
Jリーグに目を向けても、2023・2024年J1王者のヴィッセル神戸は公開日が月1回程度で、選手取材も基本的にはオンライン中心だ。基本的にオープンというスタンスを貫いてきた鹿島アントラーズも徐々に非公開や選手取材規制が行われつつある。
そういった中でこれまでずっとオープンだった札幌は稀有な存在になりつつあるのも確か。そのような現状を岩政監督はしっかり理解したうえで、前任者であるペトロヴィッチ監督時代のやり方を引き継いでいく方針だ。
札幌は「愛着を持ってもらうことで成り立っていくクラブ」
「欧州で練習クローズというのは結構前からだと僕は捉えています。どこも情報統制に躍起になっているし、SNS含めて管理を強化してきて現在に至っていると思います。
そういった状況が一周回った状態が今なのかなと。だったら、情報に気を取られるよりも、この先、クラブとして何を重視していくのかを真剣に考えるべきなのかなと僕は思います。
神戸のようなクラブだったら、楽天の資金力がバックにありますから、トップ選手を集めてタイトルを取ることでブランディングができるでしょう。実際、近年はそういう形を実践しています。
でもコンサドーレが同じことをしようとしても難しい。やっぱりコンサドーレは北海道の人に支えられ、愛着を持ってもらうことで成り立っていくクラブなんですよね。
コンサドーレから直接、サッカー関係者や子どもたちに還元できるものは大きいでしょうし、それは関東とか他の地域とは違う。僕はそういう人々を大切にしながら、経営者や強化部とも同じ考えを共有しつつチームを作っていきたいと思っています」
岩政監督がクラブ全体の意思統一の重要性を口にするのも、ベトナム時代に「勝てなければ監督をクビにすればいい」という極端な環境の中で采配を振るった経験が大きいという。現場が勝利をめざしてベストを尽くすのは当然のことだが、現場とクラブ側の考えが乖離してしまったら、長期的に勝ち続けられるチームにはならないし、ファンにも愛されない。
やはりクラブに関わるさまざまな人々が同じ方向を見て、一丸となって突き進むような形が理想的だ。それが札幌ではできると彼は信じて未知なる地へと赴くことを決めたのである。コンサドーレを盛り上げ、支える人々も楽しくサッカーを見られるようないい環境を作り上げるべく、彼は2025年から全力を尽くしていく覚悟だ。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。