浦和ユースに上がれず、同僚はプロ入り「悔しかった」 有言実行のゴラッソ「描いた通りでした」
前橋育英FW佐藤耕太が東福岡戦で2ゴールをマーク
「ユースに上がれなかったのは悔しかったけど、育英で成長した姿を全国の舞台で見せたいですね」
有言実行。これは前橋育英(群馬)のエースFW佐藤耕太(3年)が、昨年11月9日の群馬県予選決勝後に放った言葉だ。
1月11日、東京・国立競技場で行われた第103回全国高校サッカー選手権大会の準決勝で、上州の“タイガー軍団”が東福岡(福岡)に3-1で逆転勝ち。立役者は同点弾と決勝ゴールを挙げ、チームを7大会ぶりの決勝に導いた佐藤だ。
前半は東福岡のペースで時間が進み、同11分に自陣左サイドを崩されて失点。前橋育英は同24、33、39、40分にいい形でゴール前までアプローチしたが、県予選を含め準々決勝までの7試合を無失点で勝ち上がった東福岡の堅陣に風穴を開けられなかった。前半のシュート数はゼロだった。
山田耕介監督はハーフタイムに、「いつもと同じサッカーをやろう」とシンプルな言葉を投げ掛けた。敵のプレスをはね返し、テンポ良くリズミカルにパスをつなぎ、一瞬の動きで相手のマークをはがすやり方。人とボールが動くことが大前提だ。
後半3分、指揮官の指示がもう伝わった。東福岡のクリアボールを素早く回収した佐藤が、ドリブルでぐいぐい持ち込んでゴールに接近。囲い込まれながらも左足でゴール左上に同点弾を決めた。「相手より一瞬早く振り抜けました。あのゴールでチームも勢いに乗れたと思う。監督から一瞬のスキを突けと言われたので、実行できて嬉しい」と優しそうな顔をほころばせた。
ここから主導権を握ると、後半9分に決勝点を奪う。昨季のプレミアリーグEAST得点王のオノノジュ慶吏が、左でゆったりとキープしてから佐藤にパス。「右足インサイドでコースを狙って打った」というボールは、右ポストを弾いてゴールインした。「今までイメージ通りに蹴ったことがないが、あれは描いた通りでした」と出色のゴールに胸を張った。
この4分後には、後半開始から出場したドリブラーの白井誠也が3点目を蹴り込んでリードを広げ、このまま逃げ切った。
生粋の浦和っ子「得点能力は高かった」
前橋育英が新装・国立競技場で勝ったのは初。「国立の1勝目に貢献できて良かった」と喜ぶ佐藤は生粋の浦和っ子だ。Jリーグ浦和レッズの前田直輝、元浦和の山田直輝らを育てた北浦和サッカー少年団の出身。中学時代は浦和のジュニアユースでプレーし、今季ユースからトップチームに昇格したFW照内利和とは同僚だった。
しかしユースに昇格できず、高校サッカー界に入る。浦和ジュニアユース時代の監督で、現在アカデミーダイレクターの内舘秀樹氏は「スピードはあまりなかったが、ポストプレーとクロスに飛び込む動きが持ち味で、得点能力は高かった。ただ、いくらか守備に問題があってユースに上がれなかったんです」と振り返る。
しかし前橋育英に進むと山田監督から守りの要求も多くなり、グループでの守備に滅私奉公するようになった。今大会でも相手のセットプレーになると、ゴール前で身体を張った防御に回る。同点弾にしても鋭い寄せからこぼれ球を拾ってゴールにつなげている。
これで3点目。プレミアリーグEASTでも得点ランクは首位に1点差の9点をマークした。「ここまではオノノジュに頼ってきたので、ここからは自分が引っ張りたい。得点王になりたいけど、まずはチームを勝たせることですね」と気合を入れた。
流通経大柏との決戦に向け、内舘さんが「耕太のゴールで日本一になってくれたら、僕らも励みになる」と言えば、照内は「耕太らしく身体を張ってゴールを決め、チームを勝たせてほしい」とエールを送った。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。