日本代表監督への野心「僕にはない」 大岩監督からの誘いも…コンサドーレと描く10年【インタビュー】
“未来の代表監督候補”とも言われる立ち位置を岩政監督はどう捉える?
30代で指導者の道を歩み始め、40歳そこそこで常勝軍団・鹿島アントラーズのコーチ・監督を経験。その後、ベトナムスーパーリーグ(1部)・ハノイFC、東京学芸大学のコーチを経て、Jリーグ2つの目のクラブ・北海道コンサドーレ札幌を率いることになったのが、岩政大樹監督だ。(取材・文=元川悦子/全8回の6回目)
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「ミシャ(ペトロヴィッチ)監督の後任ということで大役ではあるが、これ以上ないチャレンジ。これまでのコンサドーレのサッカーを継承し、前進させていきたい」
12月11日の就任会見では、こう力を込めたという。新生・札幌は1月8日から始動。24日まで沖縄で1次キャンプを行い、いったん札幌に戻って26日に新体制発表会を実施。29日から熊本で2次キャンプに突入し、チームの完成度を高めていくことになる。
昨季までの主軸だった鈴木武蔵、駒井善成(ともに横浜FC)、菅大輝(広島)らはチームを離れたが、ベテラン守護神・菅野孝憲や昨夏加入した大﨑玲央といった30代の経験豊富な面々、伸びしろ大の中村桐耶、馬場晴也、田中克幸ら20代前半の選手もいて、チームのバランスは悪くない。岩政監督も「コンサドーレにはいい選手がいるし、十分戦える」と自信を見せており、1年でのJ1復帰に向け、秘策を練っている様子だ。
「北海道って海に囲まれている地域だから、団結力がすごいという印象ですね。僕も山口県の島育ちだから、メンタリティがよく分かります。熱狂的な応援を受けて戦えるのは有難いこと。いいモチベーションになります」
そう嬉しそうに語るが、いい組織を作るためにはコーチングスタッフの力を最大限引き出せる形を作っていくことが肝要だ。1つの参考例になるのが、日本代表の森保一監督だろう。森保監督も2018~22年カタールワールドカップ(W杯)までの4年間は横内昭展コーチ(前磐田監督)と二人三脚でチームマネジメントを行っていた。自分が先頭に立って練習を指示する姿もよく見られた。
しかしながら、2023年以降の第2次体制では名波浩、斉藤俊秀、前田遼一、長谷部誠らコーチに各トレーニングセッションを任せ、自分は遠めから見ているという「完全分業制」に舵を切った。それが日本代表をもう一段階上のステージに飛躍させる近道だと考えてのトライだというが、岩政監督も鹿島時代とは異なるスタッフとの関係性を築いていくことになるのだろう。
「森保さんもサンフレッチェ広島と代表での2つの成功体験によって、チームの全体像を見据えながらバランスを取っていく術が感覚的に見えてきたのかなと思います。
僕も代表にいたから分かりますけど、代表選手の考えるレベルや人間性というのがあって、それに対してどういうマネジメントがいいかを模索した結果、俯瞰して見るのがいいという判断になったかなと。ある意味、あの領域まで行った達観があるのかなと感じます。
札幌での自分はそこまでコーチに任せる形にはしないと思いますけど、1人1人の人間性をしっかりと把握して、どういうアプローチが最善なのかを熟考し、接していくつもりです。人と向き合って、彼らの力を引き出すことはある意味、戦術理解以上に重要かもしれない。もちろんサッカーを学び、最先端のものを自分で作っておくことも重要ですけど、組織のマネジメント力は監督という仕事をするうえで不可欠なんです。
それは全ての世界に通じること。僕はハノイから戻った後、ビジネス業界の人とたくさんお話しさせてもらう機会に恵まれたんですが、どの社長も同じことを言っていますね。プレーヤーからマネジャーになる時にその転換がうまくできない人はうまくいかない。僕も正直、最初は分かっていなかったけど、ようやくここへきてつかんだ感覚はあります」
40代そこそこで3つ目のプロクラブを指揮するのは、2010年南アフリカW杯日本代表メンバーの中では岩政監督が唯一と言っていい。2024年にJFA公認プロライセンス(旧S級)講習を受けた中村俊輔(横浜FCコーチ)も「岩政みたいな年下の人間が監督をやっているんだから、自分も早く一本立ちしなきゃいけない」と焦燥感を口にしていたほどだ。
その彼が札幌を1年でJ1昇格へと導き、上位に躍進させることができれば、2028年のロサンゼルス五輪の次の五輪代表監督、その後の代表監督というのも見えてくるかもしれない。かつて川崎フロンターレをAFCチャンピオンズリーグ(ACL)へと導いた関塚隆監督(現福島GM)、ベガルタ仙台をACLに出場させた手倉森誠監督のような軌跡を描くことは十分可能ではないか。
「少し前に剛(大岩=ロス五輪監督)さんと食事した時にそんなことを言われましたけど、僕自身は先のことを考える余裕はないですね(笑)。その頃には俊さんもヤット(遠藤保仁=G大阪コーチ)さんも経験を積んでいるでしょうし、いろんな候補が出てくるでしょうし、より際立った特徴のある人がやった方が日本代表にとってプラスでしょう。
後輩の本田圭佑とか槙野(智章=品川CC監督)なんかは『日本代表監督になりたい』って公言してますけど、僕にはそういう気持ちはないですね。もともと教師になろうと思っていた人間ですから、選手をサポートして、大きく伸ばすという自分に与えられた役割を確実に遂行して、サッカー界に貢献できればそれでいいんです。
『コンサドーレに10年くらいいてもいい』ってほかのところでも言っているんですけど、これは本音で、ミシャさんが7年やったんだから8年以上やりたいなと思っている。そういう監督もなかなかいないし、鬼木(達=鹿島監督)さんが川崎フロンターレで8年やりましたけど、だったら自分はそれを超えたい。40代の過ごし方が50代の自分自身のあり方につながってくるので、まずは2025年の仕事をしっかりやりたいと思っています」
彼らしい地に足が着いた考え方で新天地での仕事に取り組もうとしている岩政監督。彼の5年後、10年後を楽しみにしつつ、新たなクラブでのマネジメントを興味深く見守りたい。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。