子どもたちに「嫌われてもいい」 “悪童”が指導者へ…エリートの「鼻をへし折る」流儀【インタビュー】

川崎フロンターレU-15生田コーチの森勇介【写真:江藤高志】
川崎フロンターレU-15生田コーチの森勇介【写真:江藤高志】

川崎フロンターレOB森勇介氏が歩むセカンドキャリアへの過程と現在

 かつて川崎フロンターレに6シーズン在籍し、主にサイドバックとして活躍した森勇介は今、アカデミーコーチとして川崎U-15生田を指導する日々を送る。現役時代、ラフプレーの多さから「悪童」との呼び名も。2018年に現役引退を発表し、プロ生活に幕を閉じた。現在はU-15生田の久野智昭監督を支えつつ、U-14の監督として指導の現場に立っているなか、指導者に至るまでの過程と現在の姿に迫った。(取材・文=江藤高志/全3回の2回目)

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 森が指導者ライセンスを取得したのは2014年に在籍していたFC岐阜時代のこと。

「たまたま岐阜の時にチーム内にインストラクターの方がいて。それでC級が取れました。チーム内で規定の人数が集まれば講習を受けられますよ、という形で」

 日本サッカー協会のライセンス制度では、ライセンスを持たない人が最初に取れるのがC級かD級、もしくはキッズリーダーになっており、C級がなければB級以降のライセンスは取れない仕組みになっている。C級を取得した森はライセンスについて当時「とりあえず取っておこう」というくらいの感覚だったのだという。

 森は「指導者が面白いとは思っていなかったので」と、その当時を振り返る。ところが2015年に移籍したSC相模原時代に、運良くB級も取得できたことで心境が変わった。

「せっかくBまで取ったし、年も年だったので(33歳の年)。指導者がいいかなと思って、(セカンドキャリアとして)ほかの道に行くのもなというか、ほかのことはやる気がなかったし、せっかくここまで来たから。サッカー面白いし」

 指導者への転身を考え始めた相模原時代、チームメイトには元日本代表の高原直泰が居た。高原は相模原を退団した2015年12月に沖縄SVの設立を発表。そこに森を誘ったのだという。

「指導者をやりたかった」と話す森に対し、高原は「選手でもやれないか?」と提案。選手兼コーチとしての加入を決めたという。つまり、ここが森の指導者としての原点ということになる。

 トップチームでは選手兼コーチの立場からチームメイトに助言する一方、育成の小・中学生の選手を相手に指導を開始。選手と指導者の二足のわらじを履いて過ごした。その沖縄SV時代にA級までのライセンスを取得した森は2019年から古巣である東京ヴェルディのアカデミーコーチに就任し、中学生年代の指導にあたった。

 そんな森へ古巣の川崎から最初の接触があったのは2019年の11月頃のこと。長年強化部に在籍していた山岸繁現育成部長からの連絡だった。ただその時点で、川崎へ戻るつもりはなかった。

「オファーということではないんですが、その当時は羽生(英之社長・当時)さんに呼ばれてヴェルディに戻してもらったばかりだったので」。恩を返す義理堅さを指摘すると「それがないと、やばくないっすか? 人として」と語った森は、東京Vでの仕事に邁進し義理を果たしたあと、山岸育成部長からの2度目の要請に応えた。もう1つの古巣である川崎に戻る決断をしたのだ。

 1年目の2023年はスクールを受け持ち、U-15生田に異動になった今季は14歳のチームを任されている。

「自分はカテゴリーを持たなかったらやりたくなかったので」。そう話す森は、「S級(現Proライセンス)は、タイミングが合えばどこかで行こうかなと思っています」と今後の展望を語る。「この歳になっても目標を持ってやらないと、子どもにも目標を持ってやれと言っている。だから、まずは喫緊の目標はS級を取ることが一番の目標かなと」

ピッチ内での厳しさに対し、ピッチ外では対等に「礼儀とかはいい」

 実際に指導者として中学年代の子どもたちと接するなかで、森は「甘やかさない」との指導方針をブラさない。「フロンターレにいるアカデミーの子たちはエリートの道を進んできた子たちが多いから。やっぱり最初はその鼻をへし折ってやるところから始めました」。アカデミーにいる選手なのだからできて当たり前。その基準を高く設定し、中学生年代で必要なスキルの上限を求め続ける。それが鼻っ柱をへし折るという表現になっている。そんな自らの指導について「厳しいですよ、子どもにもかなり」と言い、こう続けた。

「言う時は言わないと絶対ダメです。優しくしてあげるのが正義みたいな感じかもしれないですけど、俺はそうは思わないので。それは自分で自分を甘やかしているだけじゃないかなと思う。だから全然、嫌われてもいいです。好かれようと思っていないと、子どもにも言ってます」

 なお、森は膝の影響もあり日々の指導ではボール回しまでに加わるのが精一杯。それでも「全然俺のほうができますもん。これ、なんでできないの? って。膝の状態が悪くても、今の俺のほうがボール止まる」と笑顔を見せる。そして「もうちょっと元気な時に、本当は一緒にゲームとかできれば一番良かったんですけど。やっぱり大人とサッカーをやらせるのってすごく大事だから」と悔しそうに話す森の言葉を聞いて、子どもたちを大事に思う気持ちの強さを感じた。

 森はピッチ外では子どもたちと対等に接していると言う。

「U-14の監督になってすぐの時に、俺を見つけた子が、遠くから走ってきて挨拶してくるんですけど、俺は別にそういうのとか求めてないし、どうせ練習が始まる前に顔を合わせるんだからその時でいいんじゃない? って。だって、中学生だから。軍隊じゃないですしね」

 ピッチ内では厳しく。ピッチ外では緩く。それは森のある考えに基づく方針だった。

「俺には礼儀とかはいいので。そっちのほうが(礼儀正しくないほうが)子どもっぽくて面白いし、かわいいじゃないですか。ずっと敬語で話されてたら気持ち悪いんで(笑)。でも、実際のところ本当は挨拶面倒くさいなと思っている奴もいるかもしれない。だからそういう子のために逃げ道を作ってあげておかないと。俺はサッカーで求めたいから、ピッチ内は厳しく言うけど、ピッチ外でも厳しくしたら逃げ道なくなっちゃうんで」

 だから、ピッチ外での厳格さは不要。極論すれば、タメ口で話しても意に介さないのだという。

「俺にはいいんですが、ほかの人に挨拶しなかったら怒ります」

 ただし、そんな森でも体外的な礼儀については厳しく指導していると話す。「俺にはいいんですが、ほかの人に挨拶しなかったら怒ります。礼儀正しくしなかったら怒ります。挨拶して損したって言う人はあまり聞いたことないので」。そう話す森が子どもたちに期待するのは一本立ちできること。

「一本立ちしてくれるのが一番かなと。サッカーが終わっちゃったら、全部なくなっちゃうよじゃなくて。メンタルというか、生きる力というか、生きるパワー。例えば、本当に怪我してできなくなっちゃうこともあった時、それで『生き甲斐がない』じゃない。もちろん落ち込むだろうけど、それでも生きるパワーは身につけさせたいなと。そこのエネルギーがあると、周りも支えてくれるし、手を差し伸べてくれると思う」

 そうやって選手の自立を促す森は、サッカーにおいてはどんな指導方針を持っているのか。

「与えられた環境で、個を伸ばしていくことと、チームとしても一番上を目指す。まずは本当にサッカーを上手くさせてあげる。例えばU-15からU-18に上がれる選手は全員ではないから。U-18に上がれる選手を作ってプロにすることと、U-18に上がれなかったとしても、ほかのチームでもしかしたら輝いて、別ルートからプロになってくれるような子を作れればいいかなと」

 ピッチ内外でオンとオフを使い分ける森が指導者として大事にしているのは、つまるところ人として信用してもらえるのかどうか。それがあるからこそ、子どもたちとともにサッカーを深堀りしていけることになる。

「今後の目標とかは別にないですけど、まずは人を動かせる。どんなにいい戦術をやろうが、どんなにいいお題目を唱えようが、信用してもらえないような感じだったらダメなので。人間なんて結局心で動くものだから。だからそこをまず、人心掌握術とか、そんな格好いいものじゃないけど、選手たちを惹きつけれるような、言葉が届くような、その中でプラスアルファで戦術だったり、サッカーの試合、サッカーの勘だったり、試合の流れとかを読む、そういうのは作れたらいいかなと思っていますけどね」

[プロフィール]
森 勇介(もり・ゆうすけ)/1980年7月24日生まれ、静岡県出身。清水東高―ヴェルディ川崎―ベガルタ仙台―京都パープルサンガ―川崎フロンターレ―東京ヴェルディ―FC岐阜―SC相模原―沖縄SV。現役時代は闘志あふれるプレースタイルで、主にサイドバックとして活躍。2018年に現役引退し、指導者の道へ。今季から川崎U-15生田コーチに就任した。
【インタビュー第1回】現役時代には「悪童」 偏差値70名門からプロへ…左膝に手を「イライラになる原因」

(江藤高志 / Takashi Eto)

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江藤高志

えとう・たかし/大分県出身。サッカーライター特異地の中津市に生まれ育つ。1999年のコパ・アメリカ、パラグアイ大会観戦を機にサッカーライターに転身。当時、大分トリニータを率いていた石崎信弘氏の新天地である川崎フロンターレの取材を2001年のシーズン途中から開始した。その後、04年にJ’s GOALの川崎担当記者に就任。15年からはフロンターレ専門Webマガジンの『川崎フットボールアディクト』を開設し、編集長として運営を続けている。

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