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自信が打ち砕かれた入団テスト「僕だけ落とされた」 日本代表FWが味わった初めての挫折【インタビュー】
A代表で欠かせない存在へと成長…小川航基が明かした過去
トップの舞台で輝きを放っている選手はどのようなキャリアを歩んできたのか。何を考え、何と戦い、どこで挫けて、どう這い上がったのか……。「FOOTBALL ZONE」では選手の半生を深掘りする連載を掲載している。日本代表FW小川航基(NECナイメヘン)は国際Aマッチ9戦9発と森保ジャパンに欠かせない存在になっている。名門・桐光学園時代から絶対的エースとして大きな注目を浴びていた小川の幼少期に注目。現在は献身的なプレーが魅力だが、身体が大きく、走ることが苦手だった時代を振り返ってもらった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞)
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「兄の背中を追うように始めたサッカーで、ドリブルや点を取るのが好きでした。でも、小学校時代はセンターバック(CB)もやっていました。身長が大きかったのもそうですけど、横にも大きくて、走るのが苦手だった。後ろをやらされたと言うとあれかもしれないですけど、走るのが嫌いでしたね」
今の小川からは想像できない「走るのが嫌いだった」という言葉。横浜港北SC時代、体型へのコンプレックスもあり、CBでプレーしていた。風向きが変わったのは中学になって、大豆戸FCジュニアユースに入団してからだ。
もともと小川は中学校進学のタイミングでクラブチーム「東急レイエス」に「本当に入りたかった」という。同じチームから数人が入団のセレクションを受けたが、1人だけ1次試験で落選。「僕の中では技術は小学校の中で一番自信があった。一番上手いという感覚でいたんですけど、僕だけ落とされたという経験をしました。プライドを傷つけられた感じでした」。その時に気付いたのが「人一倍努力しないと」という逆境に立ち向かう反骨心だった。
「小学生の時もジャイアン的な気質があったりしたと思う。でも、まだ12歳とかで、1人だけ落とされるというのは相当ショックだった。でもその挫折もあって、負けたくないと思うようになった。今27歳になりますけど、何か壁にぶち当たった時は自分の生活を見直すだとか、バネにして頑張るとかは小学生の時に根本として植えつけられた」
中学に入学してから身長が伸びて「スリムになってきた」というが、いわゆる「走る」トレーニングでは、チーム内での順位は後ろの方だった。苦手で、なんとなく毛嫌いしていた走ることへの意識が変わったのは「中学3年生になってから」だったという。
「高校で桐光学園さんが僕のことを『欲しい』と言ってくれて……。中学2年生の頃だったと思うんですけど、推薦という形で来てくれたんです。それが大きなキッカケになったと思います。強豪に入れるということで、もっと上を目指してやっていかないと、と。すごくそういう気持ちになった」。元日本代表MF中村俊輔の母校としても知られる全国的な強豪校から声がかかった。より上を目指すため、走ることへの意識も変化した。
日本代表が臨んだ北中米W杯アジア最終予選の11月シリーズ。小川はインドネシア戦で先制のオウンゴールを誘発し、中国戦では2ゴールをマークした。A代表初招集だったE-1選手権で衝撃のデビュー戦ハットトリックを決めてから、国際Aマッチ9試合で9ゴールという驚異的なペースで得点を量産。今年、日本代表の舞台に復帰し、1年間で8試合6ゴールと、森保ジャパンのストライカーとしての印象を付ける1年となった。
ここに辿り着くまで平坦な道のりではなかった。年代別代表からエースとして君臨し続けながら、大きな大会では怪我に泣かされた。何度もぶち当たった壁。「どうして自分が……」。悔しい気持ちは「今思い返したらその度に自分は努力してきたと言える。たくさんの挫折をその都度反骨心に変えてやってきた」と力に変えてきた。初めての挫折から15年。今、ピッチに立つ小川はこれから先もずっと心の片隅にその思いを抱えている。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)