来日して驚愕…至るところに貼られた写真「日本のベッカム」 元仏代表が知る中田英寿の素顔【インタビュー】
パルマ時代に中田英寿氏と共闘…元仏代表GKセバスティアン・フレイ氏を直撃
1998年7月にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)からイタリア1部ペルージャに移籍した元日本代表MFの中田英寿氏はペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリアの5クラブで活躍するなど名声を高め、最後はイングランドのボルトンで2006年7月に引退した。パルマ時代の2001年7月から2003年12月まで日本人MFとプレーした元フランス代表GKのセバスチャン・フレイ氏は「ヒデは日本のデビッド・ベッカムのような象徴的な存在」と絶賛する。当時の中田氏とは――。フレイ氏を直撃した。(取材=倉石千種)
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――中田英寿氏とはパルマ時代にチームメートでしたが、どんな印象を持っていますか?
「彼とはたくさんの思い出があるよ。パルマに来てすぐヒデがどれだけ偉大な人物かよく分かった。僕にとって最高なビッグプレーヤーの1人だ。パルマに加入した頃、彼はすでに世界的な選手で名前もよく知られていたし、もちろん技術的にも卓越していた。チームにフィットするまで少し苦戦する時期もあったけど、司令塔として素晴らしかったし、パルマでも重要な仕事をしたと思う。ヒデは少し恥ずかしがり屋で、言葉を多く話すというタイプではないという印象もあるけど、一緒に重要な時を過ごしたし、素晴らしい友情関係を築けていると思っているよ」
――当時、中田氏がパルマで溶け込むまでに苦労している印象もありました。あなたのような性格の選手がいたことで上手くいったのでは?
「そうかもしれないね。僕と彼はとてもいい関係だったと思う。彼は本来、トップ下や司令塔の選手だけど、チェーザレ・プランデッリ監督が不慣れな右サイドで起用したりするケースもあって、彼は適応に苦労していたし、プレーする難しさはやっぱりあったと思う」
――当時、中田氏はパルマと日本代表の両方でフル稼働し、ピッチ内外で大きな注目を集める選手の1人でしたね。
「僕は日本遠征を2回経験した。1回目はパルマ時代で、2回目はフィオレンティーナ時代。当時、東京や大阪をはじめ、ほかの街でも至るところに(デビッド・)ベッカムやヒデの写真が大きく飾られていて、それを見て僕たちは驚いたよ。パルマ以降、ヒデはボローニャ、フィオレンティーナを経て、最後はプレミアリーグのボルトンでもプレーしたわけだけど、どのクラブでもヒデの存在感はやっぱり大きかったと思う。日本のサッカー界を代表する1人であり、彼は日本のデビッド・ベッカムのような象徴的な存在だったね」
――遠征も経験したなかで日本の印象はいかがですか?
「日本は大好きだよ。というのも、僕は仏教信者だからね。僕の師は鈴木大拙先生。だから日本と僕のつながりはとても深いし、憧れの国なんだ」
[プロフィール] セバスティアン・フレイ/1980年3月18日生まれ、フランス出身。カンヌ―インテル―ベローナ―インテル―パルマ―フィオレンティーナ―ジェノバ―ブルサスポル。フランス代表2試合。セリエA通算446試合出場を数えるなどキャリアの大半をイタリアで過ごし、リーグを代表するGKとして長らく活躍。パルマ時代に中田英寿氏と共闘した。
(倉石千種 / Chigusa Kuraishi)
倉石千種
くらいし・ちぐさ/1990年よりイタリア在住。1998年に中田英寿がペルージャに移籍した時からセリエAやイタリア代表、W杯、CLをはじめ、中村俊輔、本田圭佑、長友佑都、吉田麻也、冨安健洋など日本人選手も取材。バッジョ、デル・ピエロ、トッティ、インザーギ、カカ、シェフチェンコなどビッグプレーヤーのインタビューも数多く手掛ける。サッカーのほか、水泳、スケート、テニスなど幅広く取材し、俳優ジョルジョ・アルベルタッツィ、女優イザベル・ユペール、監督ジュゼッペ・トルナトーレのインタビューも行った。