J2残留かJ1復帰か「自分でもわかってない」 前例なき4年連続レンタル?…25歳が明かした悩める胸の内【コラム】

今季仙台の攻撃を牽引した中島元彦【写真:徳原隆元】
今季仙台の攻撃を牽引した中島元彦【写真:徳原隆元】

昇格プレーオフで岡山に敗戦「僕たちが未熟だったと思います」

 胸の内に秘めてきた考えの一端を初めて明かした。来たる2025年シーズン、自分はどのチームの所属になるのか。ベガルタ仙台の攻撃陣をけん引してきたFW中島元彦が静かな口調で絞り出した。

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「昇格させて残ろう、という気持ちもありました」

 所属して3年目となる仙台を、2021シーズンを最後に遠ざかっているJ1へ復帰させ、自らも引き続きエースとしてプレーする。中島が思い描いてきた青写真を具現化させるまで、あと一歩だった。

 J2リーグ最終節で6位に食い込み、今月1日のJ1昇格プレーオフ準決勝はリーグ3位のV・ファーレン長崎を自らの2ゴールで4-1で撃破した。敵地ピーススタジアムでの下剋上を果たしながら、ファジアーノ岡山と対峙した7日の決勝で一敗地にまみれ、0-2で喫した完敗とともに夢も潰えた。

 舞台は5位から勝ち上がってきた岡山の本拠地シティライトスタジアム。大会レギュレーションにより、仙台は勝たなければJ1には昇格できない。しかし、前半20分にゴール前の混戦から先制点を献上。最低でも2ゴールが必要になった状況で、後半16分にはカウンターから追加点を奪われて万事休した。

 前半11分には岡山ゴールまで、30mを超える距離から迷わずに直接FKを狙った中島。守護神スベンド・ブローダーセンの好守に阻まれたものの、無回転で、かつゴール手前で左へぶれる一撃で岡山に冷や汗をかかせた。この日チーム最多となる3本のシュートを放ちながらも敗れ「すべてが足りなかった」と敗因を語った。

「大事な場面で萎縮する選手もいたし、それでは勝てないと思いました。チャンスというチャンスも作れなかったし、自分たちから見ても、岡山の守備陣は気持ちが入ったプレーをしていた。それを逆に自分たちがしていたかと言われると、戦えている選手が少なかった。自分ももっといい声がけができたのかなと思うし、チームとして戦っているなかで、岡山が上手で、僕たちが未熟だったと思ってます」

仙台への期限付き移籍3シーズン目を終えた【写真:徳原隆元】
仙台への期限付き移籍3シーズン目を終えた【写真:徳原隆元】

3シーズン以上にわたって期限付き移籍を繰り返すのはJリーグでは珍しい

 2022年4月にセレッソ大阪から育成型期限付き移籍で仙台に加入した中島は、すぐにボランチのレギュラーに定着。この年、リーグ戦33試合に出場して4ゴール7アシストをマークした手応えと、J1昇格プレーオフ進出圏内に勝ち点1差の7位と及ばなかった悔しさを同居させながら、翌年も仙台に残留した。

 昨シーズンは背番号を「44」から、千葉直樹や奧埜博亮、関口訓充ら歴代のレジェンドが背負った「7」に変え、32試合に出場して6ゴール5アシストをマークした。しかし、後半戦に限れば22チーム中21位と低迷。仙台は残留争いに巻き込まれ、クラブ史上最低の16位で終わった。

 迎えた今シーズン、仙台をJ1に昇格させたい、という思いを優先させて育成型期限付きから期限付き移籍へと移行して残留した中島は、年代別代表で指導を受けた森山佳郎新監督のもと、セカンドトップとしての能力を開花させ、チーム最多の13ゴールをあげるとともにアシストも5つ記録した。

 しかし、最終的に、リーグ戦で2戦2敗だった岡山に屈した。涙まじりに迎えた終戦は、同時に自身の去就を決める日々が始まることを意味していた。冒頭で記したように、J1昇格を決めていれば仙台に残留する選択肢もあったと明かした中島は、自身の今後へ向けてこう語っている。

「正直、自分でもどうなるかわかっていない。この試合にかけてやってきたので」

 3シーズン以上にわたって期限付き移籍を繰り返す例は少ない。今季はFC東京のDF大森理生が、2022年のFC琉球、2023年の大宮アルディージャに続き、いわきFCでプレーしたくらいか。

 過去には清水エスパルスのFW樋口寛規が2012年および2013年途中にFC岐阜へ、2014年途中には湘南ベルマーレへ期限付き移籍し、2015年1月に期限付き移籍したSC相模原を経て、翌年に完全移籍で加わった福島ユナイテッドで、今季までの9シーズンで48ゴールをあげている。

 同じチームへの3シーズン連続の期限付き移籍となると、思い出されるのが元日本代表MF山田直輝。浦和レッズから2015年に湘南へと期限付き移籍すると、2016年には名古屋グランパスとの最終節で2ゴールをマーク。復活の手応えをつかむと、湘南がJ2を戦った2017年も残留。シーズンを通して主力として活躍し、湘南のJ1復帰を置き土産に2018年に浦和へ復帰した。

 これらの図式は中島にも当てはまると、誰よりも本人が理解している。小学生年代からアカデミーで育ってきたセレッソか、それとも濃密な3年間を過ごし、深い愛着とともに悔いも残した仙台か。

仙台の指揮を執る森山佳郎監督【写真:徳原隆元】
仙台の指揮を執る森山佳郎監督【写真:徳原隆元】

「ゴリさんがチームを一新させた中で、サッカー選手として、最も根本的な部分を教わった」

 特に仙台では3年目の今季、絶対に忘れられない時間を過ごした。仙台を立て直した森山監督の熱血指導である。

「昨シーズンは選手が揃っていたのに、シーズンを通して残留争いの順位にいた。ゴリさん(森山監督の愛称)がチームを一新させた中で、サッカー選手として、最も根本的な部分を教わった。昨シーズンのような過ごし方をしていたら、もしかしたら自分は腐っていたかもしれない。今シーズンはチーム全体が活力を持って練習できたからこそ、自分もこうして結果を残せたと思う。サッカー選手をしている、という実感が湧いていたし、充実していたからこそ、ゴリさんを最後、喜ばせてあげられなかったのが本当に悔しい」

 中島の記憶には、シーズン中のミーティングで目の当たりにした光景が鮮明に残っている。映像を使った段階になると、毎回のように「戦わないヤツはいらない」という森山監督のメッセージが画面の片隅に映っていた。技術や戦術の前に走る、戦うといった献身的で愚直な姿勢が疎かになっていたと気づかされた。

 中島は続ける。

「サッカー選手として年も重ねていくなかで、大事な部分を見失ってしまうときもある。何気ない1日がどれほど大事なのかをゴリさんには教えてもらったし、それがあったからこそ、ここまで来られた」

 引き続き森山監督のもとでプレーしたい思いが膨らむ一方で、自身の成長を3年間も待ってくれたセレッソの思いもわかる。いまなら、J1で戦う古巣で活躍できる自信もある。おそらく二者択一となるなかで、中島はこんな言葉も残した。

「交渉に対して動こうとは思っていない。多分、仙台も大阪も自分の気持ちをリスペクトしてくれているので」

 額面通りに受け取ると、気持ちは仙台残留に傾いていると推察できる。ただ、4シーズン連続の期限付き移籍はおそらくあり得ない。完全移籍へ向けたクラブ間交渉に委ねる意向も明かした中島は、同時に「もうちょっと考える時間がほしいというか、正直、まだ何とも言えない」とも付け加えた。来季に向けた両チームの編成を考えれば、残されている時間はそれほど多くない。まずは自身の最終的な気持ちを決めるまで、思い悩む時間が続いていく。

(藤江直人 / Fujie Naoto)



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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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