Jでも日本代表でも…「涙流した記憶ない」 現役時代に泣いていたら「写真をぜひ」【前園真聖コラム】

横浜フリューゲルス時代の前園真聖氏【写真:Getty Images】
横浜フリューゲルス時代の前園真聖氏【写真:Getty Images】

「Jリーグでうれし泣きや悔し泣きをした思い出はありません」

 2024年のJリーグはJ1リーグ最終節をもってすべての日程を終了した。今年もさまざまなカテゴリーで悲喜こもごものドラマが生まれている。長く望んできた昇格を果たして流すうれし涙、覚悟はしていたものの降格が決まっての悲しい涙など、この時期はどうしても湿っぽくなってしまう。元日本代表の前園真聖氏は現役時代、どんな涙を流したのか。前園氏はいろいろ悩みながら思い出してくれたが、その結論は意外なものだった。(取材・構成=森雅史)

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 2024年のJリーグもさまざまなドラマを生みました。今年は全カテゴリーが20チーム構成になり、J1リーグの優勝争い、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)出場圏争い、昇格争いやプレーオフ圏の争い、さらにはプレーオフと、J3とJFLの入れ替え戦までありました。

 優勝や昇格を決めたチームの選手やスタッフ、ファン・サポーターの人たちが涙を流しているのを見ると心が洗われるような気がしますし、プレーオフ圏に入れなかったり、プレーオフで敗れたり、あるいは降格してしまったチームの涙を見ると胸が締め付けられる思いがします。

 そう言えば自分も……と思って、Jリーグでの経験を思い出してみました。確かに苦しかったことはいくつかありました……。だけど、よく考えたら苦しいことが起きても、僕はその条件の中でどう前に進まなければいけないかを考えていたと思います。

 起きたことを嘆いているだけでは何も解決しないので、とにかくどうすればいいかだけを考えていました。試合に出られなかったときも、怪我をした時も、どうすればその状況から抜け出せるかを見つけようとしていました。

 あと、残念ながら僕はJリーグの優勝争いに絡んだことがありません。横浜フリューゲルス時代は1993年のJリーグ開幕年は両ステージとも7位、1994年はファーストステージで一時、2位まで上がりましたが結局は5位。セカンドステージでは8位でした。

 1995年は第1ステージで14チーム中13位に沈み、セカンドステージはやや持ち直して11位。1シーズン制だった1996年は前半戦を終えて首位だったのですが、最後は3位になってしまいました。1997年に移籍したヴェルディ川崎はクラブ変革の時期と重なって多くの選手がチームを離れており、1999年のファーストステージでは2位になりましたが、セカンドステージで10位に沈み、結局チャンピオンシップには出られませんでした。

 2000年にプレーした当時J2リーグだった湘南ベルマーレは8位。2001年から2002年に戻った東京ヴェルディでは2001年に足首を骨折してしまったのでプレーできませんでしたし、2002年もリハビリに明け暮れる日々が続いていました。

前園真聖氏が日本代表での試合を回想【写真:産経新聞社】
前園真聖氏が日本代表での試合を回想【写真:産経新聞社】

「試合が終わった瞬間から次の試合の準備」で涙を流す暇はなかった

 こうやって思い出してみるとJリーグでうれし泣きや悔し泣きをした思い出はありませんね。そうなると、僕が現役時代に涙を流したのは1996年3月24日、この年に開催されたアトランタ五輪への出場をかけたアジア最終予選準決勝のサウジアラビア戦だったと思います。

 あの時は28年ぶりの五輪出場がかかっているというシチュエーションでしたし、1993年に日本代表が「ドーハの悲劇」でワールドカップ出場を逃したあとだったので、自分たちが世界大会への道を拓かなければならないという使命感もありました。

 前半に1点を奪い、後半さらに1ゴールを追加したのですが、サウジアラビアも粘りを見せて1点返してきて、最後は必死で守っていました。そんな苦しい試合に勝った時に、涙が出てきたと思います。背負っていたものが大きかったですからね。

 と、ここまで書いて、もう一度あの時を思い出してみました。試合が終わったあとのことで、覚えているのはすべてを出し切ったという気持ちでした。疲れ果てていたというのもあったかもしれませんが、いろんな感情が湧かないくらいだったと思います。

 涙を流した、という明確な記憶はありません。もしかしたら泣いていないかもしれません。そういえば、最終予選決勝の韓国戦が3日後にありましたから、もうそっちに意識が向いていた気もします。決勝で負けてしまったので、そこでも涙は流していません。

 もしかすると僕は現役時代に涙を流したことはなかったのかもしれません。そういうシチュエーションになったことがない、というのもあるでしょう。そして現役時代は「試合が終わった瞬間から次の試合の準備が始まる」という生活でしたから、涙を流す暇はなかったのではないかと思います。

 ということで、明確に思い出せないので、僕は現役時代に涙しなかったということを結論にしたいと思います。もし僕が泣いている写真をお持ちの方はぜひお知らせください。

(前園真聖 / Maezono Masakiyo)



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前園真聖

まえぞの・まさきよ/1973年生まれ、鹿児島県出身。92年に鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。96年のアトランタ五輪では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」などをチームのキャプテンとして演出した。その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)、湘南ベルマーレの国内クラブに加え、ブラジルのサントスFCとゴイアスEC、韓国の安養LGチータースと仁川ユナイテッドの海外クラブでもプレーし、2005年5月19日に現役引退を表明。セカンドキャリアでは解説者としてメディアなどで活動しながら、「ZONOサッカースクール」を主催し、普及活動を行う。09年にはラモス瑠偉監督率いるビーチサッカー日本代表に招集されて現役復帰。同年11月に開催されたUAEドバイでのワールドカップ(W杯)において、チームのベスト8に貢献した。

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