元日本代表が吐露…「自分の力じゃもう勝たせられない」 全盛期との差を痛感、プロ引き際の背景【コラム】

現役ラストゲームを終えた興梠慎三【写真:Getty Images】
現役ラストゲームを終えた興梠慎三【写真:Getty Images】

浦和FW興梠慎三、改めて口にしたプロサッカー生活との別れ

 J1浦和レッズの元日本代表FW興梠慎三は、12月8日のリーグ最終節アルビレックス新潟にスタメン出場して後半途中で交代。現役ラストゲームを終えると「自分の力じゃもう勝たせることはできないと感じた」と、しみじみと語った。

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 興梠は2005年に宮崎県の鵬翔高から鹿島アントラーズへ入団。リーグ3連覇などに貢献し、13年へ浦和へと移籍した。浦和ではクラブの歴代最多ゴールを更新するなど長年にわたりストライカーとして活躍し、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)では日本人最多ゴールの記録も持つ。22年に北海道コンサドーレ札幌への期限付き移籍を挟み、今季限りで20年間のプロサッカー生活に別れを告げると発表していた。

 自身38歳の誕生日である7月31日に記者会見を行っていただけに「正直、4か月間という時間はモチベーション的に凄く難しかった。試合に出ていない時間も続いたし、出たとしても今年で引退する自分が出てもいいのかという葛藤もあり難しかった」と話す。それでも、夏に加入したFW二田理央は高校時代に興梠のプレー集を見て学んでいたと話し、シーズン前半戦にほとんど出場機会のなかったDF井上黎生人は「俺はお前を認めているから、自信を持ってやったらいい」と励まされた。たとえトレーニングだけでも、その存在は大きかった。

 11月30日の前節アビスパ福岡戦に途中出場で約4か月ぶりのピッチに立った。ゴール前のチャンスはなかったが、ポストプレーなど相手との駆け引きが見られる瞬間のプレーは絶妙だった。そして、現役ラストゲームになった新潟戦にキャプテンマークを巻き、満を持してスタメンのピッチに立った。最もゴールに迫った瞬間は前半16分、MF原口元気のパスを受けたMF関根貴大からのラストパスをペナルティーエリア内で受けた場面だった。1つコントロールしてからのシュートを狙ったが、DFのスライディングでブロックされた。

23年のACL優勝に大きく貢献した【写真:徳原隆元】
23年のACL優勝に大きく貢献した【写真:徳原隆元】

以前なら…という場面で決められず「すごく残念に思う」

 興梠は試合後に「別に言い訳をするつもりはないけど、そう簡単にゴールはできないと思っていたけど、今まではああいう少ないチャンスも決めてきた。でも、今日は決められなかったですね。難しい場面だったし、映像を見ないとうまくしゃべれないけど、決めたかった」と話す。

 そして、「ファン・サポーターはもちろん、自分がゴールをするのを期待していたと思う。その期待に応えられないのが自分自身すごく残念に思うし、今日は頭からスタメンで出たけど、自分の力じゃもう勝たせることはできないと感じた。自分ではもう少しできると思っていたけど、自分自身にすごくがっかりしている」と、しみじみと話した。

 昨年の序盤に出遅れた浦和は、状況を打開するため興梠がレギュラーに復帰した。セレッソ大阪戦ではうまく相手を出し抜いてPKを獲得し、柏レイソル戦で見事な駆け引きからゴールを決めるなど、緩急を生かしたプレーは健在だった。ACL決勝のアル・ヒラル戦では、いち早くこぼれ球に反応してゴールも決めた。マチェイ・スコルジャ監督は興梠を「浦和の将軍」とも称した。

 だが夏場を過ぎたころから、ゴール前で身体をぶつけられながらでもプレーするような場面では、以前なら相手を抑え込んで決めていたようなものがシュートまで持ち込めなくなっていた。恐らく今でも、フリーな状態でシュートを打てる場面では高い決定力を発揮するだろうし、駆け引きで相手を外してボールを受ける技術などはトップレベルだろう。ただ、ゴール前というサッカーで最も激しい戦場で戦う選手としては、スパイクを脱ぐのに良いタイミングだったのかもしれない

浦和の最前線にはいつも「30番」をつけたエースの姿があった【写真:小林 靖】
浦和の最前線にはいつも「30番」をつけたエースの姿があった【写真:小林 靖】

興梠の偉大さは「逃げないところ」原口が語った凄み

 引退のセレモニーでも、強いライバル関係のある鹿島から浦和に移籍するに際し「誰1人として僕を受け入れていなかったと思う」という逆風の中でスタートしたことを振り返った。それでも、最後の取材対応では「鹿島から浦和に来た年ですかね、鹿島とのアウェーゲームでサポーターが自分のチャントを歌いながらスタジアムに入っていくシーンをYouTubeで見て、鳥肌が立った。嬉しかった」と、11年前のことを思い出して笑顔も見せた。

 原口は興梠の偉大さを「逃げないところじゃないですかね。常に点を取らなきゃいけない、ボールを収めないといけないっていうプレッシャーから1回も逃げたことがないと思うので、そういった姿勢はファン・サポーターに響いていると思うし、プロキャリアでずっと彼はそことのプレッシャーと戦いながらやってきた中で、おそらく一度も逃げずに、ボールを収めて、ゴールを決めてきた選手だから」と話す。そのプレーと姿勢で人々の心を魅了して、2代目のチャントでは「浦和のエース」と称された。

 すでにセカンドキャリアでの目標を指導者に定め、立場は変わるが来季も浦和で活動することを表明している。10年と少しの間、浦和の最前線にはいつも「30番」をつけたエースの姿があった。数えきれないほどのゲームで浦和を勝利に導いたストライカーは静かにピッチを去っていくが、プロとしての厳しさやゴール前でのシビアさを見せてきた発言やプレーと、相反するようにはにかんだ笑顔を見せてきたエースのことは、浦和の歴史の中でいつまでも記憶されていくだろう。

(FOOTBALL ZONE編集部)



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