無冠Jクラブを激変→7つのタイトル獲得 選手が次々海外へ…監督終焉も生まれた「余白」【コラム】
2017年に鬼木監督は川崎へ、今季限りで退任
ラストゲームはどんな結果が待っているのだろうか。2017年に就任して以降、数々の栄光を手にしてきた鬼木達監督が率いる川崎フロンターレが、12月8日のJ1リーグ最終節アビスパ福岡戦を持って終幕を迎える。日本サッカー界を大いに盛り上げてきたチームの1つの区切り。最終戦はさまざまな感情が渦巻く一戦となるはずだ。
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8年の指揮で歴代最多となる4度のリーグ制覇を含む7つのタイトルを獲得した鬼木監督。この数字だけを見ても、それまで無冠を続けてきたチームを変貌させた手腕は見事だったと言わざるを得ない。
特に指揮官がチームに大きな変化を与えたのは守備とメンタリティーだ。風間八宏前監督と中村憲剛氏によって築き上げられた技術革新により、ポゼッションサッカーの土台は出来上がっていた。そこに即時奪回を目指した守備戦術、そして球際や走力といったハードワークを要求することで攻守に隙のないチームを作り上げた。
どうしても川崎のサッカーはパスワークが魅力の1つに挙げられる。ただ、忘れてはならないのが、それだけでは勝てないということを理解していたからこその変革が勝者のメンタリティーを築き上げたということ。攻守における戦術的な面での広がりはもちろん変化したところの1つだが、それ以上に“勝利”に対する要求を厳しくした。
どれだけ技術的な能力が高かったとしても、ハードワークができない選手は起用しない。その頑固さがタイトル獲得に大いにつながったと考えていい。シルバーコレクターと呼ばれたかつての勝負弱さを払拭し、“勝てる”チームにしたのが鬼木監督である。
ただ、近年は難しい時代が続いていた。その根底には、やはりポゼッションサッカーの土台を築いていた選手たちがチームを離れたことが要因としてある。“強さ”は“評価”につながるもの。Jリーグの舞台で圧倒的な力を見せていた川崎の選手たちが、海外に引き抜かれていくことは真っ当な流れだった。
そのうえで、チームの方針としてはほかのチームから即戦力級を獲得してくるというわけではなく、将来有望な若手やチームコンセプトに合いそうな選手を集めるという形に。昔から川崎のサッカーに馴染むのに時間がかかると言われていたが、中心選手が毎年のようにごっそり抜けていくなかで、そういった選手たちの順応を待ちながら結果を残し続けることは簡単ではなかった。
もしかしたら、今後も鬼木監督が継続して指揮を続けていればチームは再び変貌していったかもしれない。ただ、それはたらればで、クラブが決断したのは長期政権から新たな転換期を迎えること。1つの時代が終わり、再びゼロから再構築することを選んだ。
タイミングは決して悪くないのではないだろうか。例えば、史上最強と称された2020年のシーズンを終えた時に監督を交代していたら、完成されたチームを率いる難しさはかなりのものがあったはず。しかし、現在は変革が必要な余白が大いにある。次なる指揮官とともに新たな色を加えていくことで、新世代の川崎フロンターレを作り上げていきたい。
輝かしい時代の最後の日は、次なる輝かしい時代へのスタートとなる。鬼木監督との最後を惜しみながら、川崎は未来を信じて前に進んでいく。
(林 遼平 / Ryohei Hayashi)
林 遼平
はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。