26年間の活動に幕「会社の都合は仕方ない」 選手の過半数が引退…“純粋な企業チーム”が消滅

今季限りで活動を終了したソニー仙台FCがチーム特別賞を受賞
日本フットボールリーグ(JFL)の表彰式が12月5日、都内のホテルで行われ、今季限りで活動を終了したソニー仙台FCがチーム特別賞を受賞した。現行のJFLに第1回から26年間参加した長年の功績を称えたもの。チームを代表して賞を受け取った最後の主将、MF吉野蓮はリーグとリーグ関係者に感謝し「26年間、このJFLで活動できたことを誇りに思います」とあいさつした。
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ソニー仙台はクラブチームが多数を占めるJFLの中で数少ない純粋な企業チーム。旧JFLから参加し、東日本大震災の11年には活動を再開した後期だけの成績で残留を決めた。15年には優勝もするなど、Honda FCとともにJリーグを目指すチームの「壁」になり続けた。
今季も9月に活動終了が発表された直後は選手が集中できずに苦しんだが、精神的に立ち直った10月中旬からは復調。優勝を決めた栃木シティをホームに迎えた11月24日の最終節こそ敗れたが、10月中旬以降は4勝2分け1敗と意地をみせた。鈴木淳監督(63)も「ああいう状況の中で、選手たちはよく戦ってくれた」と話した。
選手たちの半数は引退して社業に専念。半数は移籍してサッカーを続けるという。運営会社のソニーグループによれば、宮城県を拠点とする記録メディア事業で人員削減など構造改革が行われることが活動終了の理由だという。「会社の都合なので仕方ない」と、Jクラブの監督を歴任した後「最後の仕事」の思いで故郷仙台に戻った鈴木監督は残念そうに話した。

ソニー仙台の退会で「実業団」チームはHondaとミネベアミツミFCのだけになる。Jリーグが2部制になった99年に旧JFLを再編し「アマチュア最高峰のリーグ」として発足した現行のJFLだが、Jリーグを目指すチームは増え続けてリーグの存在意義も変わってきた。
来季はJリーグ入りを目指している飛鳥FC(奈良県橿原市)が地域リーグから入会し、J3からいわてグルージャ盛岡が降格してくる。企業2チームと「アマチュアのトップ」を目指す横河武蔵野FC、FCマルヤス岡崎を除く12クラブがJリーグ入りを目指す。「アマチュア最高峰のリーグ」というより「J4」と言った方がもしれない。
JFLの加藤桂三理事長は企業チームとして長くリーグを支えたソニー仙台に感謝し「いろいろな背景や目標を持ったチームが争うところがJFLの魅力」と話し「サッカー部を強化してJFL入りを目指している企業もあるし、しばらくはこの形でやっていきたい」と続けた。
もっとも、将来的にはJ予備軍ばかりのリーグになる可能性も否定はできない。「いつかはリーグの在り方を考えなければならない時期がくる」と加藤理事長。栃木シティがJクラブ並の施設と態勢でJ3に上がる一方で「企業チームの雄」ソニー仙台が活動終了。「企業アマチュア」から「プロクラブ」へ。JFLも時代とともに変化している。
(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
荻島弘一
おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。